わたしの人生のはんぶんの話

〒みなさま

 

ただの日記です( *´v`* )

ベッドから降りたとき、足の指先がつめたかった。朝は涼しいな、まだ白い明るさだ。たぶんこんなはやくに目がさめたら二度寝してしまうだろう。その予感は的中して起きたい時間に起きれなかった。

 

優しくしてもらったとき、いつも鎖骨の上くらいがきゅっとどきどきする。そして私なんかにあたたかく接してくれた人に、私もたくさんすてきなものをあげたいと願う。時々人が首をかしげてこちらを見る。

 

うまくいえないことがたくさんある。なんでも直接的にしか言えない。幼稚園で勢いよくトランポリンをしていたとき、ふっと力が抜けた。そばにいた子にぶつかって、床に向かって跳ね飛ばされる。状況を理解するより先に、頭からぬるい血が流れた。

 

駆けつけたお母さんが泣きながら私を抱きあげる。私はそんなに痛くなくて、トランポリンがやりたいなと思ったのだけど声がでない。ケガではない場所の検査をたくさんすることになった。

 

それから突然高熱を出して外にでれない日が増えていった。家で眠ったり、病院にいなくてはいけないことが続く。看護師さんはみんな美人で優しかった。

 

あまり通学することは出来なくなっていった。たぶん、半分か三分の一くらいは行けた。部活もすこしできた。みんなあたたかく接してくれたけれど、やっぱり親しい人はできなかった。時間も、場所も借り物のように過ごした。それでも色んな作品でみた学校はただ珍しかった。理科室のビーカーに、廊下のきたないタイルに、教室の時計に見とれた。アニメや本にあるものばかり。これがそうなのかと思った。保健室の体重計にこっそり乗ってみようとして、見つかって肩が外れるほど驚く。先生はちょっとため息をついたあと、やさしく笑って「見てないから乗ってもいいよ」と言って後ろを向いてくれた。

 

隣の席のひとに、いつも丁寧にいろんなことを説明してもらった。学校を休んだ日は、お話をした人がどんな人なんだろうと想像をして過ごす。誰の事も、よくわからなかった。はやくいろんなことに追いつきたくて、家でいっぱい本を読んだ。勉強はすごくできるようになった。テストで困ることはなくなった。先生が、私を褒める。いつのまにか、私の名前は学校中に知れた。それからどこかで誰かが私を、本当は計算高いんだと言うようになった。私はそういうとき、どんな風に弁解したらいいのかわからなくてただへらっと笑った。

 

人と話さない分、どんどん何もかも周回遅れになるのがわかった。この体の弱さの原因がわかったのはここ数年のことだ。子供の頃はあちこち調べても何が原因でこうなってしまうのか、はっきりと診断されなかった。 誤診もたくさんあった。熱でふるえる私を見ているお母さんの手が、同じように揺れていた。

 

重い病気の子の番組は、家では見てはいけないことになった。ほんとにいろんな病院に行った。お父さんが、病院の先生に食ってかかる。

小さい頃から診てくれていたおじいちゃん先生が私の髪を撫でる。お父さんにとってもう1人の父のような存在だというその人はたまに家に遊びにきた。私のもとに座って、力強く「必ずなおる」という。目は、熱を出した私と同じ。時々目のふちまで涙で満ちて今にもあふれそう。けどそれがこぼれたことは、一度もなかった。

 

なんとなく私がいなければ誰もけんかすることがなかったんじゃないかなと思う。ごめんなさい、と小さく呟くけれどその卑怯な声は自分の罪悪感のためだけだったのかもしれない。体が強く生まれていれば、と何度も思った。

 

真夜中部屋を抜け出して歩いてみた暗い街のことをたまに思い出す。近所に住んでいる金髪の女の子がいつもカラオケの前にいて、会うとジュースをくれた。一緒に座って飲むと、しあわせになれた気がした。その子は私を特別扱いせず、すごく年上の彼氏の話を聞かせてくれた。お店はぴかぴか光って、こわいおじさんに何度も声をかけられた。その時CMしていたお菓子をコンビニで買えたとき、なんだかすこし自分がまともな気がして嬉しくなった。けどそのうちにばれてしまって、お母さんが心配で泣いてしまった。

 

クラスメイトが窓の下に会いにきてくれたこともあった。私はその時に聞いたいろんな話をまだ思い出せる。アニメや漫画、本で読んだいろんなコミュニケーションに憧れた。もしいつか、普通に並んで歩けるお友達ができたら、いっぱい大切にしようと思った。たのしいこと、きれいなこと、すこしだけどできること、それを増やしたい。いっぱいいっぱいそれを持って、誰かが本当にうれしくて幸せになるようにあげられたらいいな。

 

何度目かわからない引越しをする。横浜にきてから、急に周囲がにぎやかになった。私が体が弱いことを知らない人が増えて、誘われることも多くなった。東京に行ったらもっとそうなった。突然広がっていく人間関係にとても戸惑った。

 

私は苦手な人としゃべれないからすぐに苦手な人がまわりにわかる。好きな人によく喋るし、いつでも相手のすてきなところをたくさん並べると自分もうれしくなるのでこれも知られる。どんなことにもびっくりする。今まで部屋の窓から見えたもの、動画でしかしらなかったものが目の前にあった。いちいちいろんなことに感動をした。誰かが気持ちを表明してけんかすることにすら。美味しい匂いのお店の前を通ることが好きだった。用もないけどふらふら歩いて、ネコにたくさん遭遇するとなんだか運がいい日な気がした。

 

キャバクラの呼びこみのおじさんの前で一度たちくらみをして膝から崩れたことがあった。その人はそのまま私の保護者に電話をしてくれた。それから、そのおじさんは会うと必ず飴をくれた。誰かといると誰かにも飴をくれた。公園で遊んでいる人を見るだけで楽しかった。その頃もう、どうせまた倒れるのだからそれまでしたいようにすればいいと思うようになった。

 

けど、私はきっとまだ色んなことが遅れてる。仕草が作為的だと言われると、きっとこれは常識外のことなんだとわかった。計算してそれをしているならいつでもやめられる。それをおおまじめにしていることのほうが、根が深いと思って不安が広がる。

 

私はほんとうに何も知らないのだと気付くたび、ひやっとした。

 

伸びた手を引っ込めたくなるときが増えた。失敗したらどうしようとか、なんだか怖くなってしまったりした。ときどき、やっぱり1人でいたほうがいいような気がする。けど、なんとなくなんとなくそれは私と遊んでくれたすべてのひとやことに対してすごくわるいことだと思った。

 

そんな私にでもできる仕事があって、今はそれをしているとほっとする。

実年齢より大人の顔をしていると、落ち着いた。お姉さんぶっていると何か役割があるようで、同じようにできなくてもいい気がしてほっとした。

 

でもいつまでも、時々きゅうに怖くなる。

好きになったら好きとしかいえなくていつもうまくいえない。

 

他意があると思われると悲しいけれどそれもうまくいえない。

 

うまくいえないばかりじゃなくて、うまくいえるようになりたい。

 

だけど、やっぱりわからない。誰かお友達ができるといいところばかり光ってみえて、それがきれいだねってそんな話ばかりしてしまう。みんなは好きなひとに好きだよ敵じゃないよって知らせるときどんな風にしてるんだろうなと思う。

 

心を開けて見せてもだいじょうぶなほど、いつでもありのままでいるのにそれを説明する言葉がない。ときどき自分が情けなくてかなしい。誰も困らせないようになりたい。でもそうやって悲しむたびに、わかるようになるといいな。きっといっぱいできるようになろうと思う。 そばにいる人にほんとの意味でやさしいひとになれますように。そうなるようにいっぱいがんばる。がんばる。ごめんね。いつもありがとう。

失敗してしまってしょんぼりして閉じこもってしまうより、たのしいこときれいなことすてきなこと何かとにかくしあわせになれること。そういうことをたくさんいっぱい増やしてレベルアップして、周りの人に渡せるようになれたらいいな。そんなことを思った。こういう気持ちを忘れないまま自分をアップデートできますように。

 

  またお便りします( *´v`* )  

 

 (noteと同時投稿です。)