こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

ネット上で「自分」として振舞うことについての話

〒 みなさま

こんにちは円野まどです(っ´ω`c)

今日もなんてことはないただの私生活を書いた個人の日記です。

もしよろしければお時間の許すときにでも読んでいただければ幸いです(っ´ω`c)

今日はちょっと思ったことなので短めです私の中では・・・!

 

ネット上で「自分」として振舞うことについての話

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登場人物

私 筆者円野まど。引きこもりで甘ったれた性格

 

先生と中学生


「嘘をついても俺にはわかるぞ」

ノックをして入ってきた私の目をまっすぐ見つめながら、その人は凄むような姿勢になる。30代後半の生活指導の先生だった。

広くも狭くもない、生徒指導室には先生と私の2人きり。錆びた香りがしてあまり落ち着かない場所だった。呼び出しを受けた私は、先生と対面に座る。

椅子は、そっと動いてもすぐにギシッといやな音をさせた。

指のはらで机の傷を撫でていると、先生は二、三度咳払いをした。

先ほどの、返事を待っているのだろう。

その時中学一年生だった私は、何か言うべきだったのだろうけど、何を言おうか選べずにいた。

先生は私の髪の色を染めていると言っている。

そこまで茶色くもないけれど、同級生と横にならべばまあ茶色い方ではあるかなと思う。鏡も熱心に見ないほうなので、自分ではあまりよくわからない。

頭髪検査の時に誰かが私を指差して言っていた、「まどさんはいいの?」。

その声でやっと人より黒くはないのかなと初めて意識がいったくらいだ。

家に帰って小学校の頃の集合写真を見る。今までより私の髪の色が明るく見えた。

私にとっていつでも、目立つことは恥ずかしくて緊張することだ。

陽にあたるともっと茶色くなってしまうのではと気になってお母さんにたずねる。

彼女はいつものように、白いシーツを抱き締めるようにたたみながら、やさしく私に微笑みかけた。

「きっとアメリカに行ったならあなたの髪も真っ黒に見えるわ。その程度よ。だから気にする事ないのよ。」

私はなるほど、と思ってそれ以降そのことは考えず、取り込んだ衣服をたたむ母の横でずっとシャボン玉をふいていた。私はこのポコポコ生まれる丸いきらきらが、今干されたばかりの新しい洗濯物を越えて高く飛び上がっていくのを見るのが好きだ。

舞うように風に揺らされて、光もあちこちへ飛んでいくからいつもみとれてしまう。

そうしているうちに、終わった話だった。自分の中では。

「お前髪を染めているだろう。」

黙っている私を促すように先生は言った。

彼の目を見つめ返した後、やはり何も喋りだせずに視線を肩に落とす。先生は白地に蛍光グリーンのラインが引かれたジャージを着ていた。その線を目でなぞる。切り出しをどうすればいいのか分からず、緊張だけが高まっていった。部屋は沈黙の時間の分だけくちびるに重力を与えた。

先生が指で机をトントンと叩き始める。

どう伝えればいいだろう。

私は生まれつき、この髪の色をしている。

だから嘘はついていない。けれど、この学校の規則上摘発される範囲の色をしている。そしてこれが生まれつきかどうか、学校中の人に理解してもらうのは無理なのだから、私が染め直すことが一番良いと思っている。先生が私を呼び出して、ことの次第を聴取しなくてはいけない立場なのも分かる。けど、嘘はついてないし、謝るべきこともしていない。だから「正直に言え」と求められれば「染めていません」になる。

でもそれは反抗に見えるだろう、思っている事を嫌味なく伝えるにはいったいどうしたらいいのだろう。

そんなことを考えていると最初に何を言えばいいのか分からなくて、もう一度先生と目を合わせる。ちょっと縮こまりたいような気持ちになる。いつまでも、黙ってはいられなかった。

そして私は小さく息を吸い込んで、最悪の選択をした。

「私はその・・・嘘を・・・ついていません・・・。」

大人になった今なら。

その時どんな風に言えば、相手が怒らなかったのかわかる。

けど中学一年生の私にはそれが出来なかった。その後の言葉がなかなか出ないでいる私に対して、先生は怒りを募らせる。

「大人をバカにするな。俺はお前の親なんて怖くないからな。」

驚いて目を見開く。想像だにしなかった言葉だった。

私はその瞬間、顔がすごく赤くなったのを覚えている。

しんとした部屋の中で、自分の胸の音がきこえた。

先生と自分、という話し合いの場所としてここに座っているつもりでいたけれど、先生にとって私は私自身ではなかったのだということ。先生の目にはずっと、私の後ろに両親が見えていたこと。

それに強いショックを受けた。

生まれた小さな町では、父親は確かに名前をよく知られた人だった。

だけどだから何だということもないし、それを意識したこともなかった。そもそも、そのような人間関係の渦中に私はいなかった。幼い頃も今も、ただ出来る限り部屋にこもったり一人で散歩をしたりして、殆ど誰とも話さずにただ好きなものを見つけては喜んだり感動したりして過ごす。私にとって誰かが有名であったり人気であることにはほとんど価値はなく、誰かを好きになるにあたって他人の影響をあまり受けない。

それは何を正しいと感じたり、何を好きだと思うことに於いても同じことだった。

だから私にとって、私は私でしかなかった。

 

きっとその考えやそう振舞える事ですら、守られているから思えることだったのかもしれない。でも、13歳の私にとって、私を構成する感情は自分から純粋培養されたものだと、どこかでつよく、信じていた。

 

「私は両親に言いつけたりしません・・・。」

 

小さな声で私がそう言ったあと、先生が何を言ったのかは、はっきり覚えていない。

記憶にあるのは二つだけ。

先生は蔑むように私を見て幾つか私を叱ったこと。

もうひとつは話の終わりに「黒く染めてもらうからな。」と私に告げたことだ。

敵を見るような眼差しが悲しくて、そのまま私は口がきけなかった。

結局その日、「髪の毛を染めたい」と両親に願い出ると母はいつものように優しく私に微笑んでその経緯を尋ねた。その時私は「全体朝礼で浮いてしまうから」と答えたのだけど結局両親のどちらかが、学校に電話をしたようで私の髪はそのままということになった。その後、指導の先生に会う度彼がどんな風に私を見るのかが怖かった。

ことばに何度もしたかったけど、どうきっかけをもって自分の気持ちを伝えればよいのかわからなくて、結局言えないまま私は卒業した。

 

私は、髪を黒く染めようと思ってたし、それはぜんぜんいやじゃないのです。

親に言いつけたりもしていないのです。

そして

ただ、嘘をついてないって信じてほしかったのです。

 

その言葉は今も、過去に置いたまま。時々思い出しては私に質問を投げかけてくる。

「あの時どうすれば、よかったのかな?」

 

ネット上で「自分」として振舞うこと

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生きているということはとても不思議なことで、私はそれからも「自分」でありながら自分だけでものを見てもらえないということをたくさん経験をした。

私は劣等感や羞恥心のかたまりで、いつも見当違いのことを言っては恥をかいてばかりいるけれどそんな私をすごく上の立場に捉えて「あなたのような人にはわからないだろうけど」と言う人もいた。

そのたび、なんだかとても悲しくなった。

いろんな人と出会いながら、誰かが誰かをカテゴライズしていく。

それはたとえばビジネスだったり何か判断する上では合理的なことなのかもしれない。

でも。

私はだんだん、自分が何大に通っているのか話さなくなったし、大人になってから自分が普段何をしているのかも話さなくなっていった。

私が実際に何の仕事をしたり、どんな生活を送っているのか正確に知っている人は実生活でも両手で数えられるくらいしかいない。

私は何から隠れているのかわからないけれど、なぜか自分自身が感じること以上の情報を相手に渡すことをどこかで躊躇うようになった。

話せばわかってしまうだろうけれど、ネットでは年齢もあまり言わなくなった。

自分が誰で、何歳くらいで、どんな仕事をしていて、周囲はこういうことで形成されていて。

それらは個人の性格を特定するにあたって重要な情報であり、有用な判断基準になるであろうこともわかっている。

だから、そういうことを意識してそのひとを見定める事、それが当たり前のことであるということも理解している。

たとえば仕事は個人の努力の集積である可能性が高い。

その人を構成する大切な要素であることにはかわりがないのだ。

 

全部よく、分かっているはずなのに。

 

どこかでそれがなんだか誰かと私の間にある壁のようなものに感じる時がある。

 

私は誰かを知るとき、ほんとうは私にとってどういう人なのかしか、気にならない。

 

ネットで名前を持つことは不思議で、私は「円野まど」「まるのまど」としていろんな人と話をしたり、いろんなことを思われることもある。

 

私も、ネットで出会う相手が言うことが本当のことなのかほとんど知らない。

確かめるすべもないし、確かめようとも思わない。

言っていることや態度が本心なのかも私は特に鈍いからよくわからない。

 

けれど、誰かと接する時。

気持ちの輪郭のようなものはいつも感じて、それで相手のことをすきだとか楽しいとか思ったりする。

どんな年齢で、どんな容姿をして、どんなことをしていても、その時その人と私の間にあるコミュニケーションはほんとうなんじゃないかなって思うときがある。

 

ぜんぜんうまく説明できないけれど。

 

実生活の私のほうが、私の総力みたいなものには近いのかもしれない。

でも、私の人格の本質からは遠いような気がしてくるときがある。


だからこの場所で私が「本当は腹黒そう」とか「何を考えているかわからない」とか、ごめんなさいまだ直接言われたことがないのでどのようなお叱りをうけるのか想像しかできないんだけど、よくないことも、よいことも何かを思われたり言われたりするとき

私はきっとそう見えるようなところがあるんだなあと思う。
実際にそうかは別として。

「外からみた私」ではあるけれど、そう見えるという点において、すごく、本質に近いんだろうなと思った。

 

ぜんぜんうまくいえない。

 

 

私の生まれや年齢や容姿、人間関係や職業。
そのすべてが私を形成する情報のひとつであるし、私そのもののかけらであることは否定できないけど そうなんだけど

 

なんとなく今日ぼんやり思ったのは

ばかばかしくて幼稚であることはわかっているのだけど

 

私はどこかで、ちいさな子供の頃のように
相手の名前と遊んでみた感じだけでひとをすきになって仲良く過ごすことを
いつも 夢見ているし、そうなることを願ってる。

損得も、押しつぶしてしまいそうな欲もぜんぶなくて

年齢も性別も立場も可能な限りフラットな場所で、

あなたの気持ちがなんだか好きだから、あなたと一緒にいたいと思えるような

そういうひとが好きだなとよく考える。

私はあなたがどういう環境のどういう出自のひとであっても、あなたの思うことやそのものが好きだから、一緒に遊びたい。

そんな風に思える人といれたらいいな と思った 

 

だから今日もネットにも「わたし」がいる。

 

 

 

 *

というようなことを考えながら、現実の厳しさを飛び越えられたらいいなと思いますっ・・・(おもみ)


大人になった今 私はたぶん髪の毛は黒い方ではないですがだれも気にするひとはいないと思います(っ´ω`c)
学校の規則はときどき間違い探しになるような気がしますが、あの時の先生も何も悪くないのだと、今改めて思っています。みんなに公平というのは不可能で、先生もまた不可能を仕事にしなくてはいけない大変なお仕事だったのかもしれません(*´∨`*)

 

 

それではまたお便りします

 

円野まど