こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

口のきけない学生と大学教授が消えるまでの話

 〒 みなさま

 

こんにちは円野まどです(っ´ω`c)

今日は重いお話なので、ご不快になることもあるかもしれません。

私の日常の記録のようなものですので、お許しいただけたらうれしいです。

 

 

口のきけない学生と大学教授が消えるまでの話

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登場人物

K先生         大学教授 60代前半

私           引きこもりの甘ったれ

 

 

*雨とゲーム

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「ああ、しんじゃった。」

 

ひとりごとを言った。

私は休日に家で一人。数日前に買ったばかりのゲーム、スプラトゥーンをもう何時間もしてしまっている。外は雨が降っていて、そんなに強くないけれどなぜか部屋を囲んでいるように感じた。誰にも触られないような安心感がある音に、すこしほっとする。

わたしはいつもどこか、知らない手が伸びてくることがこわい。

「わあ。」

またしんでしまう。

ものかげから敵チームの人が現れたように見えたと思ったら、倒されてしまう。数秒後に復活してまたゲームを始めて、それからまた攻撃したりされたりを繰り返す。でもとてもおもしろい。画面酔いするからできないと思って躊躇してたけど、買ってよかった。

新しいことを始めるのはわくわくする。

まだ開けられる箱がこんなにたくさんあるんだということを私は時々忘れてしまう。

最中はとってもいっぱいいっぱいだけど、できることもできないことも、過ぎてしまったら「なんだか経験できてよかったな」といつも思う。何か新しいことを生きている限りずっとしていたい。

そんなことを考えていると、サーッと雨が急に強くなって、室内の音を包み消していく。子供のころ、雨音が強くなるとお母さんがささやくような声で「雨が来たよ」と言ってきたことを思い出した。

「雨がきたらどうなるの?」

それが楽しいことなのかそうではないことなのか、想像もつかないまま質問をする。

いとしい人に質問するのは好きだ。答えてもらうのも。そしてその逆も。

その頃私は、お母さんに知らないことはひとつもなくて、彼女のそばにいれば何でも出来ると思っていた。そんな私の重たい期待をどう思ったかわからないけど、記憶の中のまだ若いお母さんはすこし考えた後で微笑む。世界でいちばん大事なものを扱うみたいに四歳の私の頬を両手で包む。

それから、こう答えた。

「涙をこぼしたときと、おんなじになるよ。」

 

*K先生

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初めてK先生に会ったのは最初の大学だった。「最初の」とつけるのは私は編入試験を受けて大学を変えている。同じ学部への編入だったので、それまでとってきた単位はほとんど認められた。トータル四年で普通に卒業していて、自分で言わないと人は気づかない。履歴書を見る人にたまにたずねられるくらいだ。

たぶん偏差値的にもそこまで変わらない。純粋にしたいことがあったから学校を移ったのだけど、編入前はそれなりに迷っていた。今の大学に入って学んでみたいことが出来て、それには別の大学がよいのだけどいろんなことが遅すぎたようにも思えた。

両親にどう切り出そうか迷いながら、ぼんやり授業を受けることが続いた。

大学にはいろんな先生がいる。

目をつぶってひたすら哲学書を読み上げる人、身振り手振りで予備校の人気教師みたいな話をするひと、高校までの先生みたいに淡々とホワイトボードに何かを書く人。テレビでコメントを求められているような、有名な人。

共通点としては、やる気のない学生でもうるさくしなければ誰も注意されないこと。

入学してすぐにある程度、誰かからの情報でいくつかの講義はまず落とさないというのはまわっていた。K先生の講義は「静かにしていれば大体落とさない」と評判で、たくさんの人が履修登録を申し込んで教室は座席いっぱいに人がいた。

先生は経済系の講義を担当していた。特にこちらに質問をしたり何かを求めるわけでもなく、まるで画面の向こう側で行われているような授業をする人だった。

「この学問に対してこれくらい覚えておいてくれたらいいです」と低いハードルを用意していて、学生にはそれを通過することしか望んでいないように見えた。

基本的にはやわらかく、印象に残らない、特徴と主張のない話し方をする。最後に「それではここで講義を終わります」とマイクを通して優しい声を出した後、いつも感情のない顔で教室を出て行った。

その日、K先生の授業中ぼんやりしていろんなことを想像していると、突然ドッと大きな音があがった。すぐに教室中がざわめく。

驚いて顔をあげると、授業に遅刻して入ってきた女の子が転んで鞄の中身をぶちまけたようだった。さらに大変なことに、手にチョコボールのようなお菓子をもっていたようで、それらも四方に散らばしている。

世界中どこかで誰かが、ときどきしてしまうような失敗だった。

けれど当事者の女の子は真っ赤な顔をして、固まる。

彼女から何メートルもばらばら離れていったたくさんのチョコを慌てて見つめてはその場から動けない。手が、その口をぎゅっと押さえている。おとなしそうな女性だった。

どこから拾っていけばいいのかわからなくなってしまったのだろうか。

思わず私も彼女を見つめていると「えっ、どうしたのあの人。」と誰かが笑った。それにつられて教室もがやつき始める。ひそひそが広がった。

その子はビクッとした後、魔法が溶けたように動き出す。耳まで赤いまま、しゃがみこんでまず足元の本を拾い始めた。這い蹲るように床にくっつく彼女に、ざわざわと好奇のまなざしは続く。

私は緊張しやすいほうなので、なんとなくその心情を理解できる気がした。立ち上がって手伝おうかなと思って腰を浮かせると、通路を挟んで隣の人もそうしようとしているようで目があった。

ドン!

急に大きくK先生がホワイトボードを殴りつけるように叩く。硬直する学生たちに「うるさいです。話の途中ですよ。」といつものトーンでそう言って、何もなかったかのようにまた説明を続ける。室内は一気にしんとしたけどその日の帰り「Kのやつあんなことで何きれてんの?きもいんだけど」という話があちこちのグループから聞こえた。それまで、よくもわるくも引っかかりがなくて話題にならなかった先生の、からかいどころが出来たようで盛り上がる。

「DVとかしそう」「あのキレ方はやばいわ」「ほかにやり方あるでしょーてか拾ってやればいいのに。」「あいつ学生のとき陰キャだわ」

賢さはやさしさ、賢い分だけ誰かにやさしくできるよ。

入学した時、ある先生が私にそういって声をかけた。

偏差値60を越えているはずの人たちのちっとも優しくない声がする。もちろんこの中で先生を嫌いなひとはきっと一人もいない。悪気もなく、この行為自体どうでもいいんだと思う。その時笑えたらどうでもいい。名前に意味はなくて、消化できる娯楽がきっと必要だったんだろう。それだけのことなんだ。だけどなんだか聞いていると、だれもわるくないけどすこしかなしい。

一定のリズムが崩されることを嫌う先生だから、あの時本当に教室がうるさくてそうしたのかもしれない。私はなんとなく、当時も今もそうじゃないんじゃないかなって思ってる。確かめたことがないから、わからないけど。

そんなことがあって、「家ではDV野郎」という微妙なあだ名がついた先生はその日を境に話のネタになることが増えた。それぞれが知っている先生の情報が集まっていく。私は一人、教室で本を読みながら、陰気にもそれをただ聞いていた。すると、その流れで先生が私の編入したい大学の卒業生であると知った。そして今、その大学でも教えていることも。

(話を聞いてみたい!)

そう思った私は、講義が終わって先生を追いかけて話しかけ・・・れるような性格ではなかったのでメモを渡した。先生の表情は、厳しくもあたたかくもなかった。何か言わなくてはいけないのに。のどがしめられたように声がでなくて、とにかく頭を下げてなんとか受け取ってもらった。今思い返せば、失礼なまでに、短い文章だ。

「○○大学はどんなところですか、そこに編入しようか迷っています。」

 

*編入試験

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よく考えるまでもなくその大学を卒業したひとも、卒業して教授になるひともたくさんいたし、ほかにもいろいろとおかしい行為だった。けれどなんだかその時「この先生に聞くしかない!」という思い込みが発動していてもたってもいられなくなった。

私は基本的に恥の多い人生をすごしているので、こういうことはたびたびあるんだけど、ほんとうに人の縁は不思議だなと思う。

その次の週、またK先生の講義がある。あつかましく質問をしたことを後悔しはじめていると、先生は授業終わりに私の方へ歩いてきた。そしてぽかんと先生を見上げる私の机に、無言で紙を置き去った。返事だった。

そこにはその大学についてと、私との相性について、加えて普段私が提出しているレポートの問題点をあげて、試験時までにどこを直すとよいかや加点のポイントについても記されていた。K先生らしい、とてもきれいな字が整列している。

その紙の最後に、いくつか書き損じたり迷ったり、消したりしたあとで「がんばってください」と残されていた。とても適当に、おまけのような、すみっこに、走り書きで。

それから。私たちは殆ど会話をせず、メモのやりとりを数回繰り返した。私が受験の意思を固めたことをK先生に報告すると、講義後時間が大丈夫であればついてくるように言われた。そしてそのまま、先生たちの研究室のある棟へ向かい、その中のひとつの扉を開く。そこで論文の指導をしてくれるU先生を紹介してくれた。その先生も私が編入したい大学の卒業生だった。

別な大学に行くための勉強を教えてもらうために今の大学に行く、というおかしな生活が始まる。U先生はK先生と対照的で、よく喋るし明るくていつも研究室に学生があふれている人だ。整理整頓が苦手な人で、使うときどうするのかなと思うようなぐちゃぐちゃのファイルをかきわけて座らなくてはいけない。先生が学生と話してる横でひたすら論文を添削してもらう。時々K先生が遊びに来る。U先生と話す時はK先生もよく笑っていて、二人はすごく仲がいいんだなと思った。

親しくないと殆ど口がきけないので、筆談かメール以外はいつもうなずいたり笑ったり俯いたりして返事をした。なのでK先生もU先生も長いこと、私が身体的な問題で喋ることができないと思っていたと後から聞いた。私のメールはいつも長いと笑われたのを覚えている。その時意識していなかったけど、お話をしてもらうのが好きで、知らないことを教えてくれる二人の先生は終わらない本のようだった。四畳くらいの研究室にいる時間が大好きだった。私はその時期とにかく勉強したし、新しいことを覚えていくことが楽しくてたまらなかった。

そんな順調だった編入準備も、父から強い反対を受けて、あきらめようか悩んでいた時期があった。

父は私の将来の話を、こどもの見る夢だと笑った。

わがままで編入をしても、またいつかそのわがままを繰り返すことになるのだから今のところにいなさい、というようなことを言って私を諭す。

将来やってみたいことというのも、それはその大学に入学してもその職に就きやすいと言われているだけで、必ずかなうわけではないのだからそれに投資をするのはばかげている、と続く。

尤もな意見に返す言葉がない。でも、やってみたい気持ちは日に日に増した。

実績以外に証明する方法が思いつかなくて、断念すべきなのだろうけどできないでいるといつの間にか母づてに「受けてみていいよ」と許可をもらった。

なんとなく拍子抜けするような突然の方向転換だったけど、私は勉強に専念することが出来、無事に編入試験を受けて、そして合格した。

二人の教授にまずお礼の電話をしたあと、合格の連絡を家族にする。父に厳しいこととお祝いの両方を言われた後、母に「実はね、まどちゃんの大学の先生からお手紙がきてお父さんそれで何日か考えていたの」と言われた。

U先生の笑顔が浮かぶ。そういえば反対されていて迷っている時も「だいじょうぶだいじょうぶなんとかなるからとりあえず受験しよう」って言ってたもんなあ、お礼言わないといけないねというような話をすると母は「お名前が違うわ」と遮った。

「K先生という方がね、突然ぶしつけにお手紙をすることや他人としてわきまえのないことだって丁寧におことわりをいれたあとで、えっと読むね

学問は奇跡の種であり、永遠に使える道具です。しかし使用する人に依存するものでもあります。学ぶ能力と人間性の両立が重要なのです。お嬢さんは静かな人ですが、優しさとそれを実行する確かな勇気を備えています。私の立場でお願いできることではないと存じますがどうか、まどさんに機会を与えてあげてください。」

K先生がそんな長文を?と動揺する。先生とは数回のメモのやりとりのあと、U先生を紹介していただいた後は挨拶くらいしかしていない。それにすごく寡黙で人と一定の距離を置いてる人に思っていた。合格の報告のときも「あっそうですか、それはおめでとう。」といわれてきられた。20秒の電話だった。

「それとね、最後に」

黙ったままの私に、手紙の話は続く。

「今日まで愛育されたご両親に言うにはおこがましい言葉ですが、彼女は信頼に値する人物です。どうか、それを改めて思い出していただければ幸いです。

と書かれていたよ。応援してくれていたんだね。」

やさしい手紙ね、それでねと次の話題に移る。私は少しの間あいまいな返事をして、電話を切ってしまった。

悲しくもうれしくもないけど、泣きそうになった。

ことばが胸の中に落ちていく。

謙遜じゃなくて、私はこう言ってもらえるような人間じゃない。

もっとへらへらしてくだらなくて、いやなことがあるともういやだーって投げ出すし短い間なら怒ったり嫌いになったりもする。めんどうなことも嫌いだし、楽しいと身近なことが見えなくなる。傷つけた人もきっとたくさんいるし、反省してないこともたくさんある。困っている人をみても何もできなかったり余計困らせることだってたくさんある。やりたくないことは石にかじりついてでもやらない。

けど、誰かが信じてくれた記憶が、いつも私をそのままにしないで前に運んでくれる。

ほんとにいつもそうだ。

その後私は無事に、その大学に入って、卒業後すこしかかったけれど叶えたかったことを叶えた。

それをK先生に報告しに大学へ行ったときも、K先生は「ああそうですか、それはおめでとう。」とだけ答えた。10分も会話が続かないのでとりあえず帰宅することにする。それまでも何度かアドバイスをいただいていたので、ときどきお礼におうかがいしていたのだけどいつもほんの数分くらいしか話さない。

ただそのとき、いつもと違ったのは校門を出たあたりで追いかけてきて、「これをあげます。」と誰かのおみやげのくるみゆべしをたくさんくれたこと。

小さなバッグだけで来ていたので、そんなに持てないと言うと「それでは、コートのポケットに入るだけいれてみなさい」と無茶を言った。クールで大人っぽい人ってたまにすごい子供みたいなこというよなあと言いながらポケットを広げていると「あなたには絶対言われたくない」とぴしゃんと返される。

でも結構入った。スプリングコートの左右ポケットがまあるく膨らむ。

「先生が走ってるのはじめてみた」とひやかすと先生はほんのわずかに笑みをうかべた。

「あなたはおいしそうにたべるからね。」

それだけが取り柄ですと笑って、ばいばいをした。

先生はすこし迷いながら手を出して、はじめて手を数回ひらひらさせた。

不器用に、口元だけ笑っている。

K先生と顔を合わせたのは、それが最後になった。

 

*永遠のお別れ

 

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K先生が亡くなったと聞いたのは、私がこりもせずにゲームをしている時だった。コントローラーから手を離さないで電話に出る。自堕落に、スピーカーのまま会話した。

私は電話やスカイプをするとき、目の前に人がいなくても笑いかけたりしてしまうんだけど、その時も出た瞬間へらっと顔を緩ませた。

サトウさんという前の大学で連絡先を交換していた人から「K先生が事故にあって、搬送された病院でそのまま亡くなってしまったの」という声が聞こえて、水をかけられたみたいに緩みが消える。

「事故で、その、今、親交のあった学生が何人かお宅に行ってるらしくて。まどさん行く?」

その人には以前マルチ商法に勧誘されているという、大きすぎる注意書きがあってなかなか頭に入ってこない。声が出ない。ゲームで私が撃たれる。復活地点に戻される。動かないとゲームの人に迷惑かな、なんてことを考える。頭の中をゲームのことでいっぱいにして、イカになって色を塗るゲームのことをたくさん考えて、音楽も聴いて、そしたら、先生の話を頭にいれることをすこし遅らせられるかな。せんせいもういないの?いつかまた改めてお礼をなんて思っても、もう話せない、実感がない。だってもう一年以上声を聞いてないから。よく、わからない。

「まどさん?」

「うん、今から行くよ。ありがとう。」

どんな声を出せばいいのかわからなくて、楽しそうに返事をしてしまう。

マンションから出たら、子供たちが道路に落書きをしたり花びらで絵を描いたりしていた。出てきた私を見上げてごめんなさいと謝ってくる。

「ううん、いいんだよ。車に気をつけてね。」

ばいばいと手を振って、歩き出す。

それから、横浜にある先生のご自宅に向かいながらわたしは人のお宅を突然訪問するにあたっての服装や手土産や、どうでもいい体裁のことをあれこれ考えたり、先生が何歳だったか検索をしたりした。いないことを、理解できなかった。

たどり着く。奥さんが嗚咽をこらえながら私たちに頭をさげる。人の遺体がある場所の、室温に関わらない白くて冷えた空気。たぶん先生のお母様、皺の深い手でもう60を越えた先生の髪を指で梳くように撫でている女性。お線香の香りと、どこかに溜まった煙の匂い。素直に泣く、元学生たち。

どんな顔をすればいいだろう。

自慢できたことではないけれど、私はよく泣き、よく笑うほうだ。

だからいろんなことに浸って泣くことはたぶん幾らでもできて、でも目の前のこの人たちの悲しみを見たら私のそれはとてもうそ臭く思えた。接点は人生の数ヶ月ぶん、もう一年以上会っていなかった。そんな存在の私。

家族でも友達でもない、親しかったかもわからない人のことを深く思って悲しんだりするのは、卒業式で無理やり泣くことに似ている気がしてブレーキがかかる。

おとなしく席に座って先生の思い出話なんかをちょっとして、おじぎをして、最後に先生の顔を見て、「また明後日うかがいます」と告別式の話をして、電車に乗って、おうちに帰って、ゲームをして、雪見大福を食べて、友達と話したり、笑ったりして、ツイッターでは元気でなんのこともないように、そんな風にすごした。

私、何日かしたら告別式に出るんだな。そういう予定があるんだな、とぼんやり思う。

お母さんに電話でK先生が亡くなったことを言わないと、と思って電話をする。お母さんはお悔やみの言葉をいくつか言ったあと、切り際私に優しく諭すように伝えた。

「いつも言ってるでしょう、生死は順番どおりなんて約束はないのだから。後悔しないようにしようね。」

お母さんにありがとうと好きだよを伝えて切る。八方美人といわれても、日々その人にかける最後の言葉になったらと考えて誰かと接してるつもりだった。けど、ある日突然こうやって、声もかけられなくなってしまうことってあるんだなと改めて思う。

せんせい。

いつまでも、私より大人でいてくれるとどこかで思っていた。

ゲームの電源をいれる、何も考えずに勝敗に一喜一憂する。

友達と話す、この人好きだなと思って笑う。

ツイッターをみる、何かを書いたり、楽しく返信をしたりする。

今日のごはんを考える。

風邪ぎみでお昼寝をする。

何回かその繰り返しをして喪服に着替える。

せんせいは次の日焼かれるのだという。

久しぶりに会えて伝えたいことがあっても、先生ともう話ができないのだと言う。

突然切断されてもう繋がらない回線みたいだ。

帰ってきて、私はまたゲームをつける。

カチカチして、画面の中、生きたりしんだり繰り返す。

せんせい。

大人を続けていくうちに人を亡くすことに慣れるというけど、本当かな。

私はずっと、悲しむべきか分からなくてあいまいな顔をして数日をすごした。

涙が自己表現になったら、それこそとても失礼だなとか考えすぎていくうちに、自分がどんな顔をすればいいのかどんどん見失った。

私は誰への体裁を、考えているんだろう。

朝、目が覚めると雨が降っていた。

先生は今日、親族だけで火葬場に行き、形がなくなってしまう。

さびしい、と思った。

こうやって、誰かの声を追い抜いていくのが人生なのかと思うとすこし怖い。

あっという間すぎて何も入ってこなくてどれを選んでどう振舞ってなんて答えてなんてするのが正解なのかわからなかった。

体調が悪くて、ベッドから殆ど起き上がれなかった。

真昼の部屋は静かで雨音だけが響く。

眠っているとそれがよくきこえた。

どこで雪になったのか分からなかった。

春分の日に雪だなんて、素敵だなと天井を見つめながら思う。

せんせいの形は春になった日に消えた。

私が泣いても悲しみにひたっても自己満足にしかならない。

でも、覚えておきたいから先生のことめちゃくちゃたくさん書いた。

記憶は永遠じゃないけど、記録ならいつでも思い出せる。はず。

せんせい。

かなしくないけど、思い出ばかりが浮かんだ。

でもこれもすぐにしなくなる。

それがつめたいのかあたりまえなのかわたしにはわからないけど

でも先にすすまないと。

いつも信じて背中をおしてくれたから。

私が進み続けているうちは、きっとたぶんであった人みんないるのとおんなじなんだとどこかで思ってる。

友達がやってきて私に

「あれっ泣いたの?」

と聞く。

私は泣いてないよ寝すぎたって答える。

外は雨が降っている。

なんとなく、分かる気がした。

雨がやってきたときは涙をこぼしたときとおんなじになる。

 

 

 

 

自分でも気持ちがまだ消化できてないのでまたどこかで直そうと思います・・・!(忘れるフラグ) 

それではまたお便りします(っ´ω`c)

円野まど