こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

車椅子を押しましょうか、と言うことが怖い。「やさしくする」が怖い。

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〒 みなさま

 

こんにちは、円野まどです。

なんてことはない昨日のお話です。いつもながら大変長いので、読まないとと思わせてしまってご負担にならないことを願っています。

 

 

 

*登場人物

でんきゅう 私の弟のような存在

私 筆者 円野まど

しゃん 私のパートナー

 

*車椅子のおばあさん

誰かに力を添えることを、臆病に思うことがある。

優しくしたいわけじゃない。という気持ちが相手に伝わるか、不安だからだ。

 

昨日、でんきゅうとご飯を食べに隣の駅へ行った。

朝だから中華食べてもいいよねと、不明な理論で慰めあいながらお腹いっぱい食べた。

炒飯や海老チリや餃子に何の罪もないけれど、カロリーオーバーを確信。

せめて公園で運動して帰ろうということになった。なったのだけれど、私たちは何気なくローソンに入店し、何気なくしゃぼん玉を二つ購入した。

もう自宅のすぐ傍まで来ていた。

私の家の近くには大きな公園があり、そこから横断歩道を一回渡ると公園の敷地を囲むようにコンビニが点在している。その中の一つが先ほどのローソンだった。

「ベランダまで届くかな?」

しゃんの居る部屋までしゃぼん玉を飛ばそうと、二人で息巻く。

なぜか私たちはしゃんをときめかせる事に情熱を燃やし始め、花束を持って窓の下に居るのはどうだろうか、とか計画を立て始めた。実際は芋けんぴを買った。

話の続きをしながら信号待ちをしていると、車椅子のおばあさんが横に並んだ。

 

目の前の道路は広く、交通量が多いものだった。

私も背が高い方では無いけれど、車椅子で一人、大型トラックも通るこの道の信号機を見上げる姿はなんだか心細く映った。

お手伝いをしようか、しまいか、躊躇っていると青になった。声は掛けられなかった。

渡りきったあと、やはり気がかりで振り向くとおばあさんは未だ真ん中くらいだった。

「あの人、手も怪我してるんよ。だから、力が上手にかけられんのやろうね。真っ直ぐ進めなくてくねくね進んでるから遅くなってるみたい。」

でんきゅうも心配だったようで、私の視線を追いながらそう言った。

確かに手の甲にも大きな白い、何かが貼ってある。

その時急いで駆け寄って、サッと押して差し上げれば良かったのだと思う。

拒絶されることや、傷つけてしまうことが怖くて、私は動けなかった。

電車で席を譲られることが嫌いな方もいる。

突然知らない人が声をかけてくることが怖い方もいる。

でも、誰かがほんのすこし力を添える事で楽になる方もいる。

どっちだ、どっちだろう、考えていたら動けなかった。

保身だったのかもしれない。本当にごめんなさい。

その後、おばあさんと私たちは進行方向が同じで、公園の脇にある歩道を縦に並んで進んだ。おばあさんは右や左に車輪がそれてしまいながら、数メートル後ろをちょっとずつ進んで来る。車道と歩道の境目の段差を乗り上げる事に、とても苦労されていた。

歩きながら気になってしょうがなかった。

いつもは気に留めない歩道のでこぼこが、いちいち心に引っかかる。

急に口数が少なくなった私を、でんきゅうが気遣う。

「俺が聞いてこようか?」

私は自分が出来ないことを人にやらせようとしているのではないかな、とか怖がらせてしまうかなとか、また決断することができなかった。時々、さりげなく確認すると、おばあさんの肩は小さくて、とてもか弱く見えた。

なんて声をかける?「家まで送りましょうか」、なんて言ったら昨今の世知辛い事情を考えると恐ろしいことだろう。だとしたらどこまでなら?考えても考えても気持ちはあちこちに揺れた。

結局、そこから10数メートル進んだ場所で私は振り返った。

そして目が合って瞳を丸くするその人に「どこまで行かれますか?お手伝い、できることはありますか?」とできるだけ、明るく言おうとした。怪しくて不安にならないように、自然に、自然にと心がけたけれど声はすこし震えた。

やはり驚かせてしまったようで、その人は目をパタパタと泳がせたあと、とってもにっこり笑ってくれた。

「ありがとう。ありがとうねえ。でもね、大丈夫ですよ。今日は調子が良くてね、天気もすごしやすいから自分で動いて、公園でご飯を食べようと思ったの。だからホラ。」

膝の上にある、コンビニの袋を指差す。

私は不快にさせなかったことに安心して、結局呼び止めてしまっただけになったことを申し訳なく思った。

こういう時、よく思い出してしまうことがある。

*四国のおばあさん

私がまだ、小さかった時。

法事で四国から来た遠縁のおばあちゃんが、すっと立ち上がった。

「ちょっとお外を散歩してくるわ。」

ずっと遠い所から飛行機で来たその人は、私のおばあちゃんの姉妹だったか従姉妹だったか、もしかしたら叔母だったのかもう忘れてしまっている。幼い私は、遠い四国の土地に私たちのご先祖様の何かがあるとかそういうお話より、お客様が来ている時特有の、ご馳走やそれを囲むために配置し直してくっつけた連結のテーブルに心が躍って仕方なかった。

「まどちゃん、一緒に行っておいで。」

お母さんが柔らかい依頼をする。おばあちゃんはこの辺り詳しくないから、と小さな声で付け加えながら。その頃から人見知りではあったけれど、区の老人会に出入りしている関係で、目上の女性といることは怖くなかった。「はあい。」と答えて靴を履きはじめると、四国のおばあちゃんは私の小さな靴を大事そうに撫でて「ありがとう。」と言った。その時、細くて血管の透けたその手がなんだか心配だったことを覚えている。

だから、家の階段を降りた後でしっかりと握った。

まだ就学前だった私の方が繋いでもらっていたのに、何だか守ってあげられるとあの時は思い込んでいた。その人は道路に出てすぐに、公衆電話の位置をたずねた。

「お電話なら家にあるよ。」そう伝えたけれど、「遠くにかける電話だからねえ。」と言って辺りを見回すように首を降った。なぜ携帯電話や家の電話を使わないのかこの時はよく分からなかったけれど、私は自宅から10分くらいの銀行の傍に緑色の電話があったことを思い出して、それを教えた。

夏の太陽が眩しくて、四国のおばあちゃんの藤色の着物や、その日のことは強い光を帯びて思い出される。

この後の私の記憶は、公衆電話についたとき、小銭がない事に気がついたおばあちゃんに「私のお金をあげるから待っててね。」と告げその場所に一人残して走って家に戻り、自分のお部屋に駆け上がって貯金箱をひっくり返したこと。役に立てる喜びで家に着くまでも、また銀行に戻るときも、浮くように足が軽かったこと。とても誇らしかったこと。たくさんの小銭を持って公衆電話に駆けつけたけれど、それはおもちゃのお金で、ただ強い日差しの真下で知らない土地に来たおばあちゃんを立たせていただけであったことだ。

そして恥ずかしさや申し訳なさに俯き、黙り込んでしまった私に四国のおばあちゃんは汗をかいた髪をかき分けるように撫でてこう言った。

「ありがとうね。」

その受容の声が忘れられない。

私は家に帰って母に、自分がしてしまったことを話したあと、それからどうしていたかは記憶にない。

思い出せるのは浅はかだった自分の情けなさと、それが許されたことと、景色が白むほど暑さの厳しい夏の日だったことだ。

*優しさ

その時のことが記憶に蘇るたびに「思いやりって何だろう。」ということを考えてしまう。私がした自己満足を、あの人は一言も責めなかった。

喜ばせたいという気持ちが空振りに終わっただけではなくて、あの時感じた恥を今でも覚えているのはきっと、わたしの心に何かの浅ましさがあったからなのだろうか。

だからこの事を思い出す時、子供だったからと笑えずこんなにも情け無いのだろうか。

私は誰かに優しくしたいわけではないし、可哀想に思っているわけでもない。

ただ、やるべきことをやらずに通り過ぎるような気がしてたまらない時がある。

いつも自分のためだ。

一見して「優しいね。」と言われる行為をするのは怖い。とても怖い。

私が私を肯定する為に、他者を利用するような人間になることは恐ろしい。

普段、どんなに自身を卑下していても、それはしたくない。

それは、きっと私の誇りなのだ。

「善をなす場合には、いつも詫びながらしなければいけない。善ほど他人を傷きずつけるものはないのだから。」フランスの作家、ポール・ヴァレリーの言葉だ。

太宰治の「美男子と煙草」でも引用された為、日本でも知っている人は多い事だろう。

この言葉に向かう時、いつも考えてしまう。善を為したいわけじゃない、目の前に困っている人がいたり、悲しんでいる人がいるとき、大体の場合わたしも同じ気持ちになる。

その時、私はどうするべきなのか、どうしたいのか、今も考え続けている。

どうか賢い頭がほしい。

 *それから

「手もお怪我なさっているようなので、本当にご遠慮なさならいでくださいね。」

そう声をかけると、おばあさんは頷いた。

「本当に大丈夫なのよ、でも。」

そう言ってでんきゅうと私をかわるがわる眺める。ゆっくりとした間を持って目を柔らかく細めた。

「お気にかけてくださってありがとう。あなた達はいい子なのねえ。今日はとてもよい気持ちでお昼にできそうだわ。」

車椅子から私たちを見上げて伝えるそれは、見守ってくれるような、大きな器量を含んで私たちよりずっと背の高い響きに聞こえた。

私は頬が赤くなるのが自分で分かるほど、ドキッとしてそして上ずった声で「よかった。お引止めしてすいません。それでは失礼しますよい一日を。」とお伝えして頭を下げた。おばあさんは公園のベンチがたくさんある方を指差して「じゃあ。私はあちらへ行くから。とっても嬉しかったわ。」と言ってくれた。

目的は同じ公園なのだけど、私たちはしゃぼん玉をしても迷惑にならないよう、敷地の西端にある川沿いの広場へ向かっていた。

おばあさんが行く林やベンチが多いエリアとは入り口が違う。でも回っていけるから目的地まで送ろうかまた迷ったけれど、きっと余計な一言だと思い最後に一礼をした。

その時でんきゅうが「それじゃあ」と大きく手を振ったので、おばあさんも膝の上でかわいく手をひらひらさせてくれた。私たちはまた二人になって、公園脇の道を進み始める。

「緊張した~、一緒に声をかけてくれてありがとう。」

下を向いて木が作る影を見ながら、でんきゅうにお礼を伝える。

その受け答えが気もそぞろに聞こえて顔を上げると、彼はまだおばあさんのいる方に視線を向けていた。

「やっぱり、進みにくそう?」

問いかけると、彼は後ろを見つめながら答えた。

「ううん。でもずっとこっちを見て、頭を何度も下げとう。まだ見たままなんよ。」

(※下げとう=下げている)

思わず私も振り返ってしまう。

大きな木の下に車椅子が一つ、寄り添うよう様に止まっていた。

先ほど、私たちが声をかけた場所だった。

角を曲がるとき、もう一度だけ見てみたたけれどおばあさんはずっとそのままそこから動かなかった。

そのことに、胸がごろごろしてどうしようもなかった。

いつも。

誰かの力になりたいと思っても、こうだ。

いつの間にか、私ばかり何かを受け取ってしまう。

だからいつも、私は誰かに添いたい時立ち止まる。

同時に何かを奪ってしまいそうで、素直に体が動かない。

あげたいのに、貰ってしまうような感覚。

それから。

何となく口が重いまま、広場に到着した。

広場についてすぐ、でんきゅうが次々しゃぼん玉を生み出し始めた。

人間が吹いているとは思えない速度と量で生産し続ける彼を見て、私は笑い転げた。この人はとても器用で、何をしてもコツを掴むのがうまくて羨ましい。

一心不乱に連続して作るるので、辺り一面シャボン玉だらけになってきた。

調度いい風が吹いて、空に舞い上がっていつまでもいつまでもとてもきれいだった。

散歩に来た人が見上げたり、立ち止まったりする中でんきゅうは休み無く吹き続けた。

私は自分もしゃぼん液を取り出しながら、彼に声をかける。

「息が苦しくならないようにね。無理しないで休憩もしないとだめだよ。」

すると彼はストローを下に向けるといっぱい出てくるんよ、などとコツを私に伝授しながら更に吹き続ける。その中でふと、林の向こうを見つめて呟いた。

「あっちでご飯食べているおばあちゃんにも届くかな~。」

届くわけ無い。

届くわけないんだけど、私はなんだか否定の言葉を言う気になれなくて黙って一緒にシャボン玉を吹いた。

私のそれはぜんぜん軽やかじゃなくてよろよろ飛び上がって、音もなく消えてしまった。それでも、何度も何度も、吹き上がっていくのを見つめていた。

 

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 *あとがき

何一つまとまっていないのですが、いつか自分がまた同じ事を迷ったりしたときに、すこしはショートカットできるといいな、と思って書き残しました。

やさしいは難しいから、私はいつも自分のためになることを選びます。

自分が何をしたいか、見失いませんように。

 

それではまたお便りします

 

円野まど