こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

友達が消えた17歳の春と川

〒 みなさま

こんにちは円野まどです。今日は、先日の映画昼食会のルーツの話です。

ただの思い出話なので、いつかお暇な時気が向いたら読んでください。

詳細に書いたのは、いずれきっと忘れてしまうことを残しておきたかったのですが嘘みたいに長くなってしまいました。

 

*思い出の話

 

 

*春

私は寒さの厳しい場所で高校生活を過ごした。

朝も夜も屋外で言葉を交わすだけで、しばし霧のようなもやが留まる。

はーっと思い切り息を吐いて、大きな白を作り出す。

なかなか消えずに宙を彷徨う姿を見ることが好きだった。

小さな頃はみんなで行い、その色が消える前に誰ということなく走り出した。

遊び開始のカウントダウンでもあったから。

晴れの日は埃まで凍って、そこかしこにある雪と共に眩しく反射した。

キラキラ空に上ってゆくように輝く。

手の平と甲を返す動きによく似ていた。

それを眺めてぼんやり空想に耽る。

私は成長に取り残された様に、いつまでもそれが好きだったけれど

そうして良い時はたぶんとっくに過ぎていたのだろう。

付き合いが苦手でも学生生活には何とか問題が無かった。

流れ行くまま15、16、17才になる。そのままやり過ごせると思ったそれはだんだんと翳りを見せて、ついに高校三年生の春。瓦解した。

登校すれば女子トイレへ同行を求められ、応じると様々な質問を受ける。

私がまじめに答えれば、彼女たちは噴き出した。

私がどうにか恥を逃れようと稚拙な誤魔化しをすれば、それは簡単に暴かれてしまう。

そして、学年共通の連絡板に私が頭のおかしい嘘つきであることが書かれる。

彼女たちがとっても楽しそうだったのが印象的だった。

安くて単純な造りの玩具で遊ぶような、思索の余地がない、明快な喜びの声をよく聞いた。邪さのない響き。誰かの香水やスプレーのにおいがする女子トイレで、私だけがいつもテンポ遅れだった。私が笑えば皆の唇が結ばれ、皆の頬が緩めば私の顔が沈んだ。会話の輪に入りたかった。

事態を収拾しようと努力する事はどれも見当違いでいっそう隔絶を生むだけだった。

中心となっている女の子は、この高校に入学する前からお互いの家に泊まりあう仲の子だった。憎んだりしたことは一度も無い。ただ、戸惑った。

弾かれるようになったのは、目立つからとか、個性があるからという理由ではない。

ただ私のすることが、いちいち滑稽で嫌気がさしたのだと思う。

これは謙遜ではない。私には素敵な姉がいるから、早くに身の程を理解していた。たくさんで過ごすより、一人で本を読むことが好きだった。人から出た言葉はどこかスピードが速くてうまく掴めない。

いつも借り物を着ているような心地で人と過ごしていた。

そんな私はこの前まで電話で話していた彼女と、急に線引きされたように王様と奴隷になったことが飲み込めない。

家に泊まりに行った時焼きそばを作ってくれたことや、お互いの洋服を交換してみた思い出が頭にぐるぐると渦巻いて、彼女を嫌いになれなかった。

大勢の人の前で奇妙な人物として注目を浴びる事は単純に恥ずかしくて困った。

でもその子と会話をする予定のない学校は寂しかった。

出来たらまた仲良くしてほしかった。

こういう目にあう人は殆ど、誰かの気まぐれや欲求不満の矛先であったり、ちょっとした行き違いであったり、当事者に非はない。だけど私の場合は違う。

私は自意識が強すぎて何と言うか、仲間はずれにされて当然の人間だった。

からかいたくもなるほど愚かで、幼稚なままの部分を平気で持っていた。何事も調子がずれているのだ。見当違いの場所にボールを投げて、キャッチボールをしているつもりになっているような、そういう所が今以上にあった。

いちいちひとつひとつの言葉の意味を考えて、何日も頭が立ち止まることがある。

物語や参考書の言葉は簡単に入ってくるのに、誰かの言葉を通す時に随分臆する。

ちょっとした怯えがとれるまで時間がかかってしまう。だからたくさん誰かと話した日はよく熱を出した。小さい頃誰かのお宅にお呼ばれしても、みんなで遊ぶことに関心を示さずそのお家にある見た事がない本を読みたがってばかりいたのだそうだ。

私の非常識に、母はどれだけ恥ずかしい思いをしたことだろう。

分からないなりに「それらしく振舞う」ことすら出来なくて、きっといつも誰かに許してもらっていたのだと思う。所属する事を黙認してもらえるなにか、対価がないのにご飯をもらえるような。

そういうサービスの期限がきたのだと、私は感じていた。

簡単に言えば私が痛々しい人だったから、見苦しかったのだと思う。

原因に想像がついても簡単に直せない、でも、納得はいく。

だから泣きもしないし縋り付きもしなかった。

自己嫌悪や宛てのない謝罪ばかり浮かんだ。

女子の一部や、今まで接していた男子とは機会があればお話をしていたけれど、そのうちにやめなければと思った。私と話していると絡まれるのだ。彼女たちと私、どっち派なのか「私をからかうことが出来るかどうか」で、試される。踏み絵だった。

そんな迷惑をかけていることが忍びなかった。男子の一部が、やめなよと諭してくれた次の日はあらぬ噂が広がった。男好きと言われると、自分が汚らわしいようでいたたまれなかった。

*夏

ある日、登校すると私の上靴がなくなっていた。

落ち込むというより、この後職員室でスリッパを借りなければいけないことが嫌だった。先生が家に電話したら、母が悲しむかもしれない。

上靴は替えが家にあるし、今日はこのまま帰って図書館で漫画でも読もう。

そんな計画が整った時、入学してからずっと、音楽の話をよくしていた男の子が飛び込んで来た。彼は靴を抱えている。私のものだった。

驚く私に、彼はゴメンゴメンと軽く身振りする。

「朝ちょっとビックリさせようと思っただけなんだけど、帰っちゃうと思わなくて。ごめん!靴ひも結んであげるから許して。」

出来た話だけど本当だ。本当だから、胸が痛んだ。

私を見つけた時、目があった彼は悲しそうな顔をした。でもすぐに意を決したようにとっても明るい顔に直した。この瞬間を私はずっと忘れないと思う。

返事に躊躇っていると、彼は冗談を幾つか言いながら靴ひもを解きはじめた。

その袖は茶色く汚れ、生ごみのようなものがついていた。膝まで制服をまくって探さねばならない様な所にあったのに、彼は探しに入り、見つけてここに急いで来てくれたのだ。予鈴が鳴っている。しゃがんで靴紐をじぐざぐにかけ直す彼の頭を見つめながら「私と話をするのやめよう」、「せめて学校ではやめよう」と言いかける。

声が出ない。

漫画のように、彼の為にクラスで戦って居場所を獲得しようという気持ちにはならなかった。交際したいとか、そういう欲求みたいなものを持つ力も、私には残っていなかった。

ただ私には、彼まで嘲笑の的になることも、この優しさが消える瞬間を見ることも、どちらも怖かった。

限界だと思った。

私はもう誰とも親しくしないべきなんだ。

その日から休み時間は校舎をあてもなく歩いた。5分がとても長く思えた。

朝は毎日普通に家を出た。そのうち週二、三日くらいは普通に登校し、残りは図書館や郊外を自転車でまわるようになった。

私は体が弱く、冬は全部、夏でも殆ど車で登校していた為、それを遠慮する言い訳を考えることに一番苦労した。両親を傷つけることも失望させることも避けたかった。

*秋

学校には自分で電話をしていた。担任が会議をしている時間を知っていたので、その時間にかければ他の先生が電話口に出る。そうすれば深く聞かれることも無かった。

誰にも相談しなかった。

けれど、母は私が学校でどういう扱いなのかすぐに気づいたようだった。

ちょっとした熱で休ませたがったり、高校三年のお弁当は私の好きなものばかりが入っていた。私が美味しいと言ったものをメモする紙が、キッチンに出しっぱなしになっているのを見たことがある。

朝渡されるまだあたたかい包みは、私を孤独にせず、まるで母の分身の様だった。

これは、食べずに捨てる事はできない。

そう思った私は自主休校にした時も自転車で町外れの川に行き、河川敷でそれを食べていた。

あっという間にもう秋になっていた。背の高いすすきがあちこちにあり、隠れるのに好都合だった。何かに囲まれて、外から自分が見えなくなるとほっとした。

こんな風に、みっともなく生まれてしまって母に申し訳なかった。

誰かに嫌われるような子になってしまって、そんな私を命をかけて生んでくれた母がかわいそうだった。何でもいいから素敵なものをあげたかった。

目立ったり、特別優秀でなくてもいい。周囲と軋轢を生まずにやっていけるような子になれなかった。そのことを、償いたかった。姉は誰からも好かれ、クラス委員で文化祭の中心人物で、いつも人に囲まれていた。そして誰とも親しくなれない私を疎むわけではなく、自分が得たものを半分私に分けるような人だった。

彼女だけが、うちの子だったら両親はどれだけ幸せだっただろう。

川は流れが早く、近づけばごうごうと鳴っていた。周囲の音を遮断して響くそれをのぞきこむ。飛び込めたら消えてしまえるだろうかと何度か考えた。気がつけば日が暮れるまでそこに立ち尽くすこともあったのに、私はその鳴動の一部にならなかった。

人並みかそれ以上の自己愛と、お腹にあるエビフライがいつも私を引き止めた。

なんだかお腹がいっぱいで、絶望しきれなかったのだ。

悲しいときや寂しいとき空腹でいてはいけないのだと、この体験から強く思うようになった。

消えてなくなってしまえたら、生まれたことも、みじめに生きていたことも、誰も知らないままで消えてなくなってしまえたら。そんなことばかり考えてしまうのに、川に行くとなぜか安心した。

定規みたいなものがあればいいのに、とよく思っていた。

仲間に入れてくれなんて厚かましい事は言わないから、目立たないように誰かを傷つけ

たり邪魔したりしないように、その距離が何メートルなのか分かればいいのにとずっと思っていた。

*冬

秋も終わりを迎える頃のこと。

 下校時間に合わせて帰宅すると、母が夕飯を作りながら声をかけてきた。

「ねえ、もう行かなくていいのよ。通わなくても大学には行けるし、いつも話しているよね。多くの人と違う道を選ぶ時、あなたは他の人とは違う責任を持つということだけ分かっていればいい。一見失敗に見えることがあっても、私は、あなたを信じる。」

キッチンのそばにある鏡に、寒い河原に佇み過ぎて青くなった私が映る。

この日が初めてじゃない。母はいつも、行かなくていいと言っていて私が行った振りをし続けていただけ。そんなの意味なんてないのに。それでお母さんが安心するわけじゃないのに、せめてのつもりだった。でもそれも全部、彼女は分かっていたのだ。

「お母さん。」

私は大丈夫だと言おうとしたのだけど、それを遮って母が続けた。

「明日から、休もう。二人でたくさんご馳走を作って、映画でも見よう。」

「でも、お父さんに何て言う?」

父は厳しい人だった。何もないのに休む学校は不正の様でやはり後ろめたいし、どんな注意を受けるか怖かった。

「あなたは、早起きしてもう行ったことにするの。私は、お父さんにうまく伝えるからあなたはお部屋のクローゼットに隠れていてちょうだい。そう決めたら今から映画を借りにいかなくちゃ。とりあえず十日くらいは絶対休んでもらうわよ。」

母は流暢に「綿密な計画」を語りながら、すばやくコートを着る。

優しく企んだ顔をして、きょとんとする私をはやくはやくと引っ張り出した。

「私もたまには何もかも休んでやろうと思って、冷凍のピザとかパエリアをたくさん買い込んであるのよ。それと私、ひとつ見たい映画があるからそれは決定ね。」

ツタヤに向かう道で、続きを母が喋り始める。

「そんなことしていいの。」

休んでいいの、休んで遊んでいいの、逃げていいの、いろんないいのが浮かびながら返事する。

「悲しい事ばかりなんて、腹が立つじゃない。あなたを傷つける誰かよりも幸せになるのよ。それにね、たまにはケーキも焼きたいけど一緒に食べてくれる人がいないんだもの。」

と言った。母の口調はあくまでも軽く、遊びに誘うようで、教えるとも諭すとも違った。私をかわいそうな子だと思っていないことが伝わってくる。

胸がいっぱいになって話し出せずにいると隣の母が思い切り息を吐いた。

白いもやが彼女の胸のあたりまで広がっていく。

「寒くなったわねえ。私、これをするとあー冬が来たってしみじみ思うのよね。ちょっと恥ずかしいから人がいない朝だけしてみるのだけどね。」

この時格好つけずに「私も」と言えたのか、今はもう思い出せない。

 

*卒業

 

それから卒業までの間、いろんな映画を見た。お昼の料理はその時々で違ったし、テーブルクロスを大胆な色にしてみたり、まるで毎日パーティをしている様だった。というか実際、パーティだった。

泣ける映画も笑える映画もたくさん観た。学校の延長線にしかないと思っていた世界は途方もなく広いのだと今更に気づいた。

母はまるで高校生の様に声をあげて笑ったり、涙を流したりした。

あとはめでたしめでたしと体は言ってくれなくて、吐いたり眠れない夜もあった。

けれど、あの川に近づきたくなる衝動がだんだん自分から離れていくのが分かった。

まったく行かなくていいと言われたけれど、それは気が引けたので同じペースで登校もした。私への遊びは、受験ですこしずつおとなしくなっていった。

日に日に、何かが軽くなっていくのを感じた。

学校の廊下ですれ違った先生が「お前は怠け者だから心配だなあ。大学行ったら大概にしないとだめだぞ。」とちょっと厳しい顔を作る。

「はい。」

朝起きて、高校に向かい、教室に行く。その終わりが来ようとしていた。

 

「大丈夫、取りに行ってくるよ。」

卒業証書をもらってきてあげようか、という申し出を断る。

私を甘やかしすぎだと、母が親類から言われたことがあった。

社会に出られなくなったらどうするのと、問い質されたのだ。それは尤もな心配であり、当事者の私ですらも母が寛容すぎると考えていた。

「学校に命を置いてくるくらいなら、後で考えればいい。それにこの子を信じてる。」

きっぱりとそう答えた。

私の記憶の中の母はいつも穏やかで、親族の集まりでちょっとからかわれても何も言えず俯いて赤面するような人だった。

私はこの、「信じる」という言葉に値する人間に成りたかった。

だからあの学校を自分の足で出て行きたかった。それを母に見せたいと思った。

別れを惜しむどの群れにも混ざれず、式が始まるまで黙って着席していた。

当たり前だけど、卒業がぜんぜん悲しくない。そのことが何だか可笑しかった。

何人かの人に「ひどいことしてごめんね」と謝られて、悪くないよこちらこそごめんねとかやりとりをして、二時間もしないうちに卒業式は終わった。

明日から高校生ではないことはちょっと怖かったけど、なんだかこの街ですることはすべて終えてしまったような、そんなすっきりとした気持ちで歩いた。

家に着いた時、母は泣きながら笑っていた。

 *その後

今は東京に住んでいる。

大学からの帰り道にも、卒業後に引っ越した家の傍にも、よく行くお店の近くにも、そこかしこに川やそれに近い水路があって、近づくとあの時とよく似た音が聴こえた。

水が流れるさまを眺めていると、何となく今でも、指で指をなぞりたくなる。

自分がここにいることがまだ信じられない日もある。

もうすぐ私は、誕生日が来てまた年を重ねるのだ。

あの時、吸い込まれて消えてしまわなかったからこれから先、傷つけてしまう人もいるのだろうか。いつか誰かを失望させるだろうか。

たまにそんな事が怖くなる。

ある時振り返ると、白い日傘をさしたおばあさんと目があった。

「こんにちは、天気がいいわね。今日はなんだか素敵なことがあるわよ。」

それだけ告げて微笑んで去っていく。

私は物思いに耽ることをやめて、そんな風に優しく声をかけられたことを誰かに話したくなった。顔が綻ぶ。はやく言いたい。

その時やっと、生きていたいのだと気がついた。

 

 

 

それではまたお便りします

円野まど

 

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