〒 みなさま
こんにちは、たまごのお寿司が好きな円野まどです ( ´ヮ` )
最近はかわいいけど怪力、という女の子ってイイかもしれないという話を展開して冷たい視線を浴びています。
私はよく「もしも・・・だったら」という空想をして遊びます。
シュミレーションと言えば格好良いですが、「もしも駅前にたこ焼きやさんが出来たら」みたいな、我欲を実現させるための滑走路作りだったり、ただただ予想を出し合うのが面白かったりするだけの気楽な話です。
この前はプログラミング教育の件を発端に、新しい教科を作るとしたらどんなものが良いと思うか、という話を身近な人たちとしました。今日はそのことを書きたいと思います。
「大切な子供たちの教育にまつわること」というとすごく真面目な話に見えるかもしれないのですが、たとえば実現不可能でOK部門だと当然魔法学校的な教科が入ってきたりなどと、夢想の延長みたいなほんのおしゃべりなのです。
想像をふくらませるという範囲のことですので一緒にこうしたらすてきかもしれないってことを思い浮かべていただけたらとってもうれしいです。
目次の最初は導入説明なので、話は2番目からになります!
もしもあなたが新しい教科を作るとしたら【プログラミング教育必修化に寄せて】
*日本の初等教育でプログラミング必修化
2020年に小学校でプログラミング必修化となる計画が決定したことは皆さんご存知だと思います。日本では2012年から中学校の技術家庭科の中で「プログラムによる計測・制御」が必修になっていますね。授業の中で実際にScratchを使用してゲームを作ったというお話も聞こえてきます。
Scratch (スクラッチ) とは初心者が最初に正しい構文の書き方を覚えること無く結果を得られるプログラミング言語学習環境である。
ご存知の通り、世界中でプログラミング教育は広がっています。
2016年から教育先進国フィンランドでも小学校の必修科目になりましたね。
フィンランドでは政府がITベンチャー振興策をとっていて、次々とインターネット関連のベンチャー企業が誕生しています。更に技術大国でITに親しみやすい土壌がある上、そもそもの教師の質の高さがあるため新カリキュラムは安定したスタートを切っていることでしょう。
イギリスでは2012年から、従来の「ICT」を改め、新たにコンピュータサイエンスを学ぶための専門教科として「Computing」が創設されました。
プログラミング教育の開始はなんと5歳から。日本の小学校に相当するプライマリースクール(日本の小学校一年生より一年早くにレセプションクラスが始まります)でも週に一時間以上を確保して行われています。とっても熱心ですよね。
ハンガリーでは「Informatika」というICT(Information and Communication Technology)活用にまつわる教科を2003年から初等教育に導入しています。
これはいきなりプログラミングを始めるものではなくて、まずツールの利用法を学び、次にアプリケーションについて学んで簡単なものを作成していくなど、段階的に理解を深めていく計画になっています。
最初はICTリテラシーを中心に学び、次にプログラミングに進むといった全体の本質を理解させる腰をすえた教育で、よく練られているなと感じました。
メディア・リテラシー(英: media literacy)とは、世の中にある数え切れないほどの沢山の情報メディアを主体的に読み解いて必要な情報を引き出し、その真偽を見抜き、活用する能力のこと。
余談ですが日本でもメディアリテラシーだったり、ICTリテラシーを早くから身につけることがとても重要だと思います。
それはリテラシーっていうのは、ざっくりいうと「あるものに対して理解して使いこなす能力」だと思うのですが、そのふわっとした力がそのまま「危険に対する嗅覚」になり得ると考えているからです。こわい思いや危ないことに巻き込まれないで楽しいこととか素晴らしいことにつながるように技術を使っていけたらいいですね。
*プログラミング教科創設に思うこと
ついに日本で実施される必修化に関しては、教師の負担増加や学習進度や指導者・教材のレベルに差が生じた場合のことなど課題は残りますが、そこの配慮を忘れない前提で科目として参入されることは個人的にとっても賛成です。
それは教育の多様性が一歩進んだことになると感じているからです。
小学生の時、たくさんの人に距離を置かれているクラスメイトがいました。
A君とします。
目まで隠れる長い前髪、服のすそがいつも汚れていて、体育を強く拒む男の子です。
誰かがA君に積極的に嫌がらせをするわけではなく、多くの人が何となく無視するというか接さないようにしていました。
彼からも、誰かに話しかけることはありませんでした。
何回目かの席がえでその子と私は隣の席になりました。
それからしばらくした日のこと。私は授業のはじめに先生の説明をまったく聞いてなくて理科の実験をするための準備が分からなくなってしまいました。
自業自得ではありますが、先生に怒られることが怖かったので隣のA君に聞きました。とても丁寧に教えてくれて、私は無事に実験を行うことが出来ました。
そしてその時間の終わりに私は先生から理解度を確認する質問をされたので、いくつか発言をしました。その時先生が「とってもよく予習していますね」と仰ったので私は「いや、さっき、A君から聞きました。」と答えました。(後から知ったのですが、先生は私が前半寝ていたことを分かっていたそうです。)
先生が「A君は予習してきたのですか?」と今度は彼に話を振ると、A君はそっぽを向いて小さい声で「別に」と言いました。
それから、先生は理科の実験についてA君に話をふることが増えました。
褒められる彼を何度も見ました。席替えをした後、私以外の人も彼に教わる機会が重なり、だんだんクラスの中でA君は「不気味なひと」ではなく「なんか理科が得意な人」に変わっていきました。
いつだったか彼からロボットを作ってみたいことなどを聞きました。
その時、前髪の奥の瞳がすこし見えて私はA君が笑っているのを初めて見ました。
あれからたくさんの年月が経って思うのは、学校で触れるさまざまなことのどれがその子の才能を拓くか分からないということです。
プログラミング教育やその中で学ぶ論理的思考は次の時代を生きるために有用なものであり、また子供によっては新しい得意な分野への架け橋になってくれたらいいなと思います。
子供たちの才能の中には今のテストでは計れないものもあって、そしてそれはもしかしたらその子が時代を生き抜くために伸ばすべき能力かもしれない、と思います。
自分に「できることがある」という喜びを感じてほしいし「自分の良いところを知る」ことで自分を好きになって生きていってほしい。
そしてその為にできるだけたくさんの機会や視点があればいいなと考えています。
*さらに新しい教科を作るとしたら?
私は税とか経済のことを初等教育に取り入れることはどうかなーと思いました。
少しずつ変わってきていますが日本ではお金についてあまりオープンではない文化が長くありましたよね。今でも「儲ける」ということを考える人に、ちょっとした嫌悪感をもつ人がいると感じます。裏を返せば心のつながりを重視する人が多いのかもしれません。
それはとても素晴らしいことだと思うのですが「経済活動へ関心が向きにくい」ことと繋がるのは勿体無いと思います。
労働や価値の適切な対価としての報酬はなくてはならないものだと思います。
大切なのはそれが見合ったものなのか判断する目を養うことじゃないかなあと考えました。話は雑談だったのでいろいろな方向に飛びました、選択制で護身術を習えるようにしたらどうかとか、世界中の料理を作る家庭科とか、海の町の学生と山の町の学生を一ヶ月入れ替えるとか、それは実現できないってこともたくさん。
私はありきたりなことしか思いつかなかったのですが、いつも今日より素晴らしい未来が築いていけたらいいなあなんてことを願っています。
時代はどんどん進んでいきますね。
もしかしたら登校することもなくなったりするのかな?と思うと毎日眠かった身の上として大変うらやましいです・・・!
*あとがき
時々、教育はすごいなと思います。
大人になってから多くの本を読むようになった私の知人が、どんどん感動を伝えるための表現を増やしていきます。
それを見ていると、言葉にならない気持ちでいっぱいになります。
私はときどきすべてのことが言語になり得るように感じるのですが、多くの人が学ぶということで自分の好きなものと会話できますように。
そんな風に思いました。
長くなってしまってすいません。読んでくださった方、ありがとうございました。
それではまた、お便りします ( ´ヮ` )
円野まど
2017/09/06夜 追記
今日自分でへー!と思った事と将来への希望をこめて記事を書いたのですが、私と異なる意見を持ってもどうか心配しないでください。私はあることに対してみんなが同じ方向だけを見る必要はないと思っています。誰かが感じた違和感が、後から進歩のきっかけになることもたくさんあるからです。大切な事は意見が違う人同士が話すとき、人格を傷つけあわずに事柄を見つめて会話することだと私は思います。みなさんもわたしも、毎日今日より幸せでいられますように。