こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

だってあなた子供いないからわからないでしょ?を聞くとき

〒みなさま

 

日曜日だから頭の中の垂れ流しです。

 

目の前で喧嘩が起こっていた。

私の知人の女性二人だ。

といっても、チャット画面が流れて進む、スマホ内の文章の応酬だけど。

きっかけは些細なことだった。

20代でも治療が必要な場合があるから妊娠希望だったら一度病院に行ったほうがいい、という先輩。この人は一年の不妊治療を経験して、その事で少しでも周囲の役に立てたらいいと思っている人だ。

後輩は話をやんわり受け止め、子供は三十代になった時縁があればと答えていた。

先輩の子供は三歳になるというので、どんなおもちゃで遊ぶのか聞いたりしてみた。

次はこの前行ったカフェの話。全員同じ店に行ったことがあるのでにわかに盛り上がる。そうして話が何度か変わるけど、自然と話題は結婚や出産の方に着地する。

まだ彼氏と結婚しないで恋人でいたいと後輩は言うし先輩は子供への愛情はそれとはまったく違う、体験したことのない感情だと語る。

どちらも価値観を押してくるような口調ではなくて、自分が一番関心を持っている話を共有しようとしているだけに見えた。

のろけたい後輩と、子供に出会った感動を話したい先輩がすれ違って行く。

母の気持ちって、どんなだろう。時々接する子供はかわいいけど、命を預かって責任もって社会に送り出さないとと思うとやっぱり緊張する。

母の自覚って妊娠するとか、出産して顔を見るとか何かのきっかけでワーッととなりのトトロの「夢だけど!夢じゃなかった!」のシーンみたいに木がズモモモモって急成長するみたいに湧き上がるのかな、と空想だけしてみる。

その話の延長で「先輩って子供が電車とかで泣いてる時どうするんですか?」と後輩が質問する。

「泣かせておくよ、反応すると興奮したり構ってもらえるって学習しちゃうから、無視が一番きくんだもん。」

「それ、ツイッターに書かれるヤツじゃないですかー」

ここで「あんまりこういうこと言いたくないけど、子供泣いてもなすすべ無い時ってあるよ。子供いない人にはわからんと思うけど。」と先輩がすごい速さで返事する。

多分後輩は軽いいじりのつもりで言っていて、先輩はその事について張り詰めるものがあったのだと思う。会話が滞っていく。

結局この後、数回のやりとりをしてお開きになった。

大人だから喧嘩にならないけど、その分根が深い「またね」になりそうだった。

私はこの二人のどちらが悪かったとかそういうことを思ったわけじゃない。

産む、産まない、産める、産めない、産みたい、産みたくない、そのどれでもない人がいて、皆それぞれ過ぎて、何か口を挟めなかったけど後からちょっともやもやとした。

こういう諍いってたまに目にする。

「子供いないから分からないだろうけど。」と言う人だけじゃなくて「これだから子持ちは。」という人も本質的には同じだと思う。

どちらも今、自分は相手の置かれている条件下にないという点で共通している。

少し前に橋田寿賀子さんがインタビュー記事で子供がいないことをかわいそうねと言われていたという話をしていたけれど、フランスでは30%以上の30代女性が母親にならない選択をしている。少子化における問題であったり、自分勝手な大人が増えたとか、さまざまなことはいったん端に置いて「人生」という部分にだけ焦点をあてると何を選択して生きるかはその人次第だと思う。

ただ今、日本女性を取り巻く環境はちょっと複雑な部分もあって「子供を産まなかった産めなかった女性」が自然に生きて行きやすい社会ではない。かといって子供を産んだ女性が母である以外の人格を推奨されやすいわけでもない。

昨日のニュースで後藤真希さんがTGCのイベントに出ている事に対し、「母親の癖に目立っちゃって」という意見をチラホラ目にした。ギャンブルの為に車内に子供を置き去りにしていたわけではない。母親が旅行に出かけるだけで、「旦那さん許してくれた?」と眉を顰める人を知っている。

子供がいる・いない、どちらにしろ、女性がある一定の年齢を越えたらどこか「社会に許される基準内で生きる」ような、そんなどこかの誰かの目を気にしなくてはいけない瞬間があるのだ。

子供は未来そのものの様な存在だから、大切であり、そして社会構成上不可欠であるから「産み育む」ことは大事だ。どんな命もよく生まれてきてくれたねと扱われるといいなと思う。だけどその事で、女の人が大きく二つにバッサリ線引きできるみたいな構図はへんだなと思う。

同じ子供は一人もいないし、保護者も同じ人間じゃない以上まったく等しい条件で生育することも出来ない。姉と私が似ていないように、姉妹ですら違う結果がでる。

つまり皆違うのだ。子供がいるいない以前に、誰もおんなじじゃない。

子供がいて他者に迷惑をかけることを気にしない人は残念ながらいるけれど、その人は多分いなくてもそういう人だと思う。子供がいないことで、我の強い振る舞いをする人もいるけれど、その人はどんな条件下でもそうなりやすいのだろう。

子供という絶対正義みたいな大きな光に目が眩んで、それを引き合いに自分たちをグループ分けすることをやめられたらいいなと思う。

立場が似ている人と会うと、話が早かったり共感を覚えることもある。

そういう心地良い相手といたっていい、でも対岸に誰かを置いて安心するために立場をカテゴリ分けする必要なんてない。自分は自分が選択した道を歩いて、他人の道も尊重すればいいんだと思う。幸せの形は人それぞれなんだから。

それと多分、「子供がいないから分からない」「子持ちだから勘違いしてる」このセリフが飛び交う時ほど、相手のことを知ったほうが良いんじゃないかな。

よく話題になる、子供が騒いだとき傍らの母親がすまなさそうにしてたら許せるとかそういうことじゃなくって。

相手が自分とは違う立場にいる時ほど、相手の状況を想像することをやってみたいと思う。子供がいないひとは、いる人のこと。いる人は、いない人のこと。

お互いを尊重することが出来たら、もう少しだけ何か変わるかもって思うし、相手に不満を持つときその感情って何が根っこにあるのかって省みる事を忘れないでいたいと思う。

ひとつの言葉や立場をピックアップしてそれが、その物事における「いつものこと」と捉えてSNSで対立構造を生み出す、そうして多数決で非常識になった人がめちゃくちゃに叩かれて、ひとつの場所で淘汰される。それはいつかまたどこかで誰かを窮屈にしたりしないかな。それとも、そうはならないのかな?

そういうばらばらの考えをぐちゃぐちゃ頭に浮かべていたところで母から電話が来た。

「ねえお母さんの友達に子供がいない人っている?」

「いるわよ。親御さん思いの、とても心の綺麗な人。心が清らか過ぎて、両親ばかり大切にして自分は後回しすぎる人だから、見送った後が少し心配ね。一緒に旅行にまた行けたらいいなあ。」

のんびりとした声を聞きながらここには争いが起こっていないもんだなあと、不謹慎なことを浮かべて電話を切る。

その際、母が「どうして急にそんな事を?」と聞いてきた。

私はこの先子供を授かりたいと思うかも、その力があるかも分からない。

分からないうちによく考えておきたいのだ。

私はすぐあたふたするから、今の内に。

後から、「この勢力に属しているからこう思うの?」とか「こういう生活してるからこう思うの?」とか誰かや自分にカテゴライズされちゃう前に。一番平和的で一番面倒くさくない何かを見つけてしまって気楽でのんきに生きていきたい。

誰1人悲しまないし、皆が苦しまないで、今より幸せな何か。

そういうものを見つけたい。

 

*あとがき

今日はまとまりのないお話ですいません。たまには普通の日記らしい吐き出しをしました。私は人が社会に参加して生きる時多様性は肯定されるのか、みたいな話に関心があります。

こういうことを考えるたび、まあいいかーとか欲を言えばきりがないってことに至ってやめちゃいます。

子供の件に関しては女性として窮屈な部分もあるけれど、私はなんとか無視できるような気もする。ただ実際困っている方を見ると、無関心はプラマイゼロじゃなくてマイナスなんだということを実感します。

正しさっていうものは本当はないから、人間は考え続ける事から逃げられないのかもしれないですね。

今回は女性の話をテーマに書いたのでそこが中心だったのですが、私は男性も女性も今までの在り方が変わる時だと感じています。それに伴って不必要な無形圧力があるなら解放されるといいなと思っています。ただそれを目上の人が見て、今の子はわがままになった!と言われると確かにそうかもって思ってまた立ち止まっちゃいます。

だからちょっと漠然としちゃうんですけどとにかくより良いようになるといいなーと思います。ホントに漠然としてますねウフフ。

みんなが仲良くじゃなくてもいいけど、誰かが誰かを踏み潰さないような世の中だったらいいなと思います。

それではまたお便りします( ´ヮ` )

 

 

円野まど

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