こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

夏を嫌うということ 

〒みなさま

 

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ちょうど一ヶ月ご無沙汰しました。

私が体調を崩しただけではなくて、さまざまな事が次々と起こっていました。

いい事もたくさんありましたが、壁らしい壁のようなことから始まったどたばただったので気持ちもいそがしく変わりました。

それもまたいつかまとめて書きたいなと思いながら今日はちょっとしたお話を

 

*登場人物

しゃん 私のパートナー。同居人。カキ氷は練乳派。

アイちゃん 私の姉のようなオネエさん。

わたし 筆者 円野まど。ひきこもりで社会性が低い。

 

夏を嫌うということ

 

私は夏が苦手だ。

日光過敏症であることと、どうも私は体の熱を逃がすのがうまくないようで一度暑いなと感じたら、涼しい場所に移動しても長い間頬が真っ赤になったままなのだ。

蝉が鳴いている。

大きな雲が膨らむように青空に広がっていてそれはとても美しいことをベッドで額を冷やしているときに初めて知った。

夏負けは私の恒例行事のようなものだ。

水辺で過ごしたり、緑に溢れている道を歩くなど爽やかな景色を選んで気分を変えたり工夫をしてはいるけれど、やはり「早くこの季節が終わって過ごしやすくなればいいのに」とどこかで思っていた。

私にとって今年は驚くような年だ。

まだ五ヶ月近く残っているし、もしかしたらまたこういう年がくるかもしれないけれどこんな年は二度とない、そんな風に思う。

転んだところを蜂にさされた後、自転車がやってきて身体を轢き去っていく、という様な命はとられないけど心は折れそうになる、そんな程度の事が何度か続いた。

小さな躓きも、繰り返される事で疑問が自分にまで及んだ。

私らしくない行動が増えたと言われることもあったのだけど、私は何が私らしかったのかを忘れそうになっていった。

何をいつ間違ったのか分からなくなったり、やたらネガティブになったりやたらポジティブになったり、そのどちらの考えにも結局入り込めなくてちょっとわたしは情緒不安定かなというようなことを考えたり。

自分を第三者的に見てしまうと、甘え倒すことも怒りきることもできないような、その実それを明かすことでそうしているような、とにかくぐちゃぐちゃだった。

おそらく世の中の出来事すべて、誰かと比較すれば恵まれていることも、その逆であることもたくさんあるのだろうけど私はそれはあまり意味を為さないと思っている。

1人の人間がうれしいと思うことでみんながうれしいとは限らない。

1人の人間にとって価値があることが、万人にとって意味のあることとは分からない。

そう思うので私は気持ちに従って絶望したり、希望をもってみたりを繰り返した。

起こっている事に対して私がもっと悲しむべきだと言う人もいたし、悲しまないべきだという人もいた。

ガマンしすぎだと言われることも、我侭すぎると言われることもあった。

すべてありがたく受け取りながら、何をすべきか考えたり、遠くに出かけたりした。

選択肢がたくさんあると思ったり、たくさんはないなと思ったり、このままこの生活をここに置いてどこかへ旅することもできてしまうのだと考えたり。

人生は限りなく自由だけど、誰かに縛られているほうが幸せなのかもしれないみたいなことも思った。

親しい人がいるということは、幸せだけどちょっとした恐ろしさも含んでいた。

そこにいてもいい、という場所は至上の安心であるけれど、それは停滞やリスクもきっと共にしている。

しゃんと私は長い間一緒にいるけど今までほとんど喧嘩をしなかった。

でも、今年はとても多かった。

今年いろいろなごたごたが私にはあったけど、一番堪えたのがこれだった。

私たちはよく双子のようだと感じていたけれど、彼にとっても大変な一年だったのだ。お互いの余裕をなくすタイミングまで似ていて、衝突することが増えた。

どうすることがベストなのか、一緒に考えたり話したりした。

でもそのころ二人ともぜんぜんまともじゃなくて、話し合いは決裂してひどい夜になったことも何度かあった。

私たちがそれぞれ相手にはこの先絶対に言わないものだと思っていた言葉がいくつも飛び交った。

この先どうしようか、と大きな分かれ道の前に立っている気持ちだった。

今まで想像もしなかった将来が、本当はすぐ隣にあることをはじめて意識した。

恥を承知でいうと、この時わたしはとても悲劇のヒロインだった。

人と喧嘩をすることがいやでかなしくて、たぶん、思い通りに幸せになりたくて。

そんな浅ましさから目がはれあがって別人のような顔になるほど涙をこぼした。

しゃんも見てわかるほど衰弱していった。

傷つけあうのはいやだな、どうすることが一番いいことなんだろう、それを毎日考えたけれど振り返ればそれはとても的外れなことだった。

きっかけは私たちが仲直りしようと出かけた後、その日の写真をアイちゃんに見せた時に訪れた。

「ねえ、しゃん。ずいぶん顔色が悪いみたい。」

私はハッとして、写真を遡って見返した。

その後、朝起きてきた彼をしっかり見つめて息をのむ。

去年よりずっとやつれて見えたからだ。

そのまま彼と病院にいくと、その日すぐに少しの間療養が必要な状態であると診断書が出た。

そのことを顔色が悪いと指摘してくれた人にお礼がてら報告するとこんな言葉が返ってきた。

 

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「良かったね、お医者様にかかるまで無事で過ごせて。気づかないままだったら心臓が止まっていたかもしれないんだよ。」

散歩の時なんだか息切れがすると言っていたことを思い出して背筋がヒヤッとした。

少し前のメッセージをスマホで確認すると、昼休みに「なんだか胸が痛い。」と送られていたことがあった。

それからまじまじとしゃんの様子を見た時、力が抜けていった。

自分はなんてバカなんだろうと思った。

彼は1人ですべてを抱えて、誰にも相談できないまま「しっかりしよう」としていた。

仕事も家も、いろんなことを誰にも迷惑かけないように頑張った結果、自分の健康を損なっていった。

私は相手の態度ばかり図って、自分が悲しいとき相手がどのくらい困っているのか考えていなかった。

私が握り締めていたどんな不服も 相手が当たり前にそこにいることを前提にしていることに気づいた。

今まで思った怒りも悲しみも、このままでは置けないと思った何かも、ほとんど、無限に手放せると思った。

彼が今生きてるじゃないか。

 

一緒にいる時間が増えれば、好ましくない癖とか腹が立つことも多分探せばある。

でも許せないことはひとつもなくて、たとえこの先できたとしても、それはその日まで与えられた幸せの量に遠く及ばない。

わたしは何にこだわって、幸せじゃないと不満をもっていたのかな、と思っているとしゃんがこう言った。

「なんだかずっと調子がおかしくて、自分が自分じゃないような焦りがあって。それで何度か失敗もしたでしょ?そのうちに自分が思ったよりずっとダメな人間に思えて、喧嘩のたびに、ああ今幸せにしてないなって思っていた。自分では幸せにしてあげられないような気がしてたんだ。ずっとなんだかすごく申し訳なかったんだ。」

申し訳ない という部分に胸が痛んだ。

いてくれるだけでいいと伝えられていなかった自分のことを思った。

私のほうこそ体調がわるいこと、気づけなくてごめんね。

これは今でも思い足りないほど思い続けている。

 

 

それから。

しゃんは病院に行ったことで安心したようで、ちょっとずつ穏やかさを取り戻して言った。

「傷つけるようなことしたり、言ったりしたよね。ごめんね。」

彼はたびたびそう言ってきた。

この人はいたずらに心配をかけないように、きちんとしている人だ。

私に、いいところだけを見せてくれようとした。

愚痴も弱音も言わないし、不安にさせるようなことも出来るだけしない。

長い事一緒にいるのに、しっかりもののしゃんと抜けている私としてずっと過ごしてきた。

自分のいいところだけを私にあげようとしてくれていたのだと今ならわかる。

私はそれに甘えていた。

その事に気がつけた時に、彼が生きていることを誰彼なく感謝した。

「私っていつも、自分のことばかりだよね。本当にごめんね。」

これからは、もっともっと成長するからと続けていると、彼はとても自然に遮って、私にこう言った。

「いいよいいよまどちゃんはそのままでいいよ。まどちゃんと一緒にいる以外の人生は、俺には行き止まりなんだよ。それだけは分かってるんだ。だから自分のままでいて。」

それは文字に起こせば私の自画自賛にも見えて滑稽かもしれない。

でも、その時私は何も言えなくなって、今日まで私や私たちが傷つけてしまった全てのひとに謝って、それから毎日少しずつ、前の日よりマシな人間になれるように頑張りたいと心から願った。

幸せに見合うような人間になれたら、安心できると私は今もどこかで思っている。

太宰治さんがこんな事を書いていた。 

「夏の中に、秋がこっそり隠れて、もはや来ているのであるが、人は炎熱にだまされて、それを見破ることが出来ぬ。耳を澄まして注意をしていると、夏になると同時に、虫が鳴いているのだし、庭に気をくばって見ていると、桔梗ききょうの花も、夏になるとすぐ咲いているのを発見するし、蜻蛉だって、もともと夏の虫なんだし、柿も夏のうちにちゃんと実を結んでいるのだ。」 出典 太宰治 ア、秋

 そういう主旨の文ではないのだけど、これを呼んでいるとなんだか夏を好ましく思わないことがばかげているように思えてきてしまった。

好きなことも嫌いなことも実は全部つながっててただの表と裏だったような、

そんな気持ち。

このべたつくほど汗をかいて、まぶしくて眩みそうになる青すぎる一日も一年の大切な一部だと思うと、なんだか今までつまらないことで憂鬱になっていたのかなと思った。

 

「いいところだけつまんで一緒にいたいなら、誰かと親しくなんてならなければいい。」

アイちゃんが前にそう言っていた。

誰かの人生のゲストであり続ければ、悲しみも苦しみもない。

身内になれば楽しさや喜びのほかにそれらも加わる。

でもまるごとその人を受け止めてしまえたら、その時多分その愛情には幸福しかなくなる。という話をしていた。

ほんとにほんとにそうだと思った。

 

前にも書いたように私は恋のことはよくわからないし、男女のことも理解できていないままのところがある。

でも、しゃんが自分を嫌うとき 私が彼を好きでいようと決めた。

きっと彼は自分で自分が好きではないのだ。

だから、甘えないようにしていないと申し訳なくなるんだ。

生きているだけですばらしいって、小さな子供に声をかけるように彼にとっての短所を受け止められる人になりたいと思った。

誰かの役に立たないと自分に意味がないとどこかで思っているこの人に、そこを含めたあなた自身にちゃんと意味があるといつか伝わるように。

それはわたしが、いつも彼にしてもらっていることなのだから。

そんなことを思った次の日。

お店で大盛りのカキ氷にソフトクリームのトッピングをつけて注文した後で彼にこう話した。

「これからは、出来ないことや出来なくなったことがあっても心配しないで話してほしい。いいところばかりじゃなくても、大丈夫なんだよ。」

何の脈絡もない場面で自信満々にそう言ったけれど、彼は「あ、そう?ありがとう。」と気のない言葉を並べながら、口元だけそれはとてもうれしそうに緩めて笑った。

 

 

*あとがき

長い夏でしたが、とにもかくにも健康に感謝だと思いました・・・

しゃんの体調は無理をせず治療を続ければ大丈夫です。

心配してくださった方がいましたらありがとうございます!

忙しい方はぜひ注意なさってくださいね。

自分のことは二の次にしていたり、これくらい大丈夫だということが大事に繋がることもあります。どうか、皆さんご自分を大切にしていてくださいね。

生きていれば何でも出来るはあながち間違いではないなあ・・・と感じた夏でした

なにもかもお互いが健在であればこそですね。

やっぱり何かの渦中にいると、世界中巻き込んだ壮大なスペクタクルムービーばりにおおごとに感じますが過ぎ去ると大体が思いやり不足だったり、思い込み過多だということに気づきつつある恥の多いまるのまどよりお送りいたしました・・・!

この後でんきゅうがひどい風邪をひいたり、アイちゃんも体調を崩したりいろいろあったのですが、全員一致で「空腹の時に話すとろくなことにならない」という教訓を得た次第です・・・!

そしてこんなことを書いておきながら来年の今頃「夏って苦手ですうー!」とか書いてそうな自分の未来を思いました・・・ワハハ・・・ハハ・・・ハーーーッハッハッハ!(誘い笑い)

 

それではまたお便りいたします!また恥の多い毎日にお付き合いいただければ幸いです・・・(`・ω・´) 

 

円野まど