こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

私が出来損ないの母親もどきだった頃

〒 みなさま

 

今日はとりとめのない思い出話です。

f:id:ma-corpus:20170609041651j:plain

*私が出来損ないの母親もどきだった頃

私にはでんきゅうという子供のような弟のような、その実向うが年上なのではないかと錯覚するような、社会的にどういう定義があってどういう名称で呼べばいいか分からない家族がいます。

以前の紹介にも書いた通り縁戚で年下なら、弟とするのが良いのかもしれません。

簡単に書くと、彼が10代半ばの頃九州から東京に来ました。

家にいれば彼が学費のために働いたお金は親御さんに渡ってしまうからです。

彼がこっそりバイト代を貯めて得た参考書は、捨てられてしまいました。

言葉が出ませんでした。進学を頑張ってみると決めてから、不良をやめてどれだけ努力したか分かっているからです。

親御さんには複雑な思いを感じたこともありますし、自分がアドバイスしたことで計らずとも親御さんをわるものにしてしまうことがあれば、家族を引き裂いてしまうかもしれないとか、様々な葛藤がありました。

親御さんの気持ちを私ごときが推し量れるはずがありません。

分からないからにはきっと何か事情があってのことだと考え続けたいです。

親御さんもまた、悩んでいらっしゃったのかもしれません。

でんきゅう自身とも、そして私のパートナーであるしゃんとも何度も話し合いました。

私は私のエゴで、彼の進学したいという気持ちを一番に尊重することを決断しました。

その代わり、お預かりするからには必ず学校に入学・卒業まで実の親のつもりで支えようと自分に誓いました。

彼がどのように育ってきたとしても、

この子を産みその時まで育んでくださった親御さんにいつも感謝しています。

そして、お預かりした命を不幸せにした、という結果にならないように心から努力しようと思いました。

彼と私は親子ほど年が離れているわけではないから、見た目では無理があるかもしれません。それでも、私は彼が学校の卒業資格を得るまでは「お母さん」である決意を固めました。

私達の関係を見たり聞いたりした人が色々なことを想像しました。

けれどその時、私は人にどう思われるかを考えている余裕はありませんでした。

義務教育の途中から労働力と考えられていた彼は殆どの必修科目を知りませんでした。

そこから必要な教科書を調べたり用意したり、電車の乗り方や眼鏡の作り方を伝えたり、そして痩せた体に栄養を送ることで頭がいっぱいでした。

彼がもっている可能性や未来の大切さ を伝える事が一番苦労しました。

簡単に自分の未来を軽くみるのです。

f:id:ma-corpus:20170608060130p:plain

執着心がないというか、あの頃のでんきゅうはいつどうなっても悔いがないように見えて心配だったのを覚えています。

そしてやっぱり反抗期と言うか、10代なので「朝きちんと起きなさい」といわれても

「そういう言い方することはない」みたいな、受け入れないときもあるのです。

f:id:ma-corpus:20170608060428p:plain

落ち着くと必ず謝ってくれるのですが、言われた時はカッとなってしまうのです。

今思うと様々なことから自分を守らなくてはいけなかったんだろうな、とか色んなことを考えられるのですがその時の私はそうではありませんでした。

お母さんになる!と決めた私のボロはすごく簡単に出ました。

「この子は人よりも環境が助けてくれないのだから、十分以上に色々なことを教えなくては」

気がつけばそんな風に思っていました。

彼にはもうなおらない傷がたくさんありました。

病院に行っても、ずっとうまくつきあわねばならないと診断されたものもあって、そのたび私は決意を固めました。

私がいつかいなくなっても、1人で危険を避けられるようにしなくては、もう危ない目に遭わないようにしなくては・・・と どんどん私の頭の中は偏っていきました。

私を優しいと仰ってくださる方がいますが、そんなことはありません。

この時私は恐怖でいっぱいで、不幸にしたらどうしよう、とか失敗したらどうしようとか、誰に採点されるわけでもないのに、罪悪感や「じょうずに」やり遂げられるか不安で不安でたまりませんでした。

人一人の命を、死なないようにだめにしないように預かる事に自分が臆しているのがわかりました。

でも、後戻りをすることは出来ないし、したくありません。

その時彼が頼れる大人は自分だけだと思ったからです。

とにかく「この子を社会で生きられるように」しなくてはと焦りは増すばかりでした。

 

ほんとうに些細なことで厳しく注意をしました。

f:id:ma-corpus:20170608060643p:plain

そしてその後、そんな自分に驚いて何度も涙がこぼれました。

 

 私の年齢で彼くらいの子どもがいる人はいません。

そんなのはじめから分かっていたのに、なぜ自分みたいな幼い人間が人一人を支えられると思ったのだろう、何度も自己嫌悪で挫けそうになりました。

私に見せなかっただけで、でんきゅうも何度も泣いたと思います。

お母さんに電話して自分の反抗期はどうしていたか聞いたり、お姉さんのようなアイちゃんに話したり、そしてパートナーであるしゃんに相談しました。

しゃんがでんきゅうにかける言葉は、どれも穏やかでそれでいて彼の先々を見据えたことばかりだったからです。

心配しているのに、どうして優しく見守ったり、しゃんのように相手の成長を思っていることが伝わる言い方をしてあげられないのか自分が情けなくて、つらくてたまりませんでした。

本当に辛いのは信じてついてきた大人が幼稚な私なんかだったでんきゅうだったでしょうに、私はどんどん自分勝手に焦っていきました。

とにかく「1人のときでも自分で自分を危険から守れるように」私がなんとかしなくてはと育児書を読んだり、「普通に育った子」が何ができるものなのかとにかく調べて、そして毎日あれこれ悩みました。

私は全然やさしくないのです。器が小さくて押し潰されそうでした。

神経がもう繋がらない彼の傷を見るたび私はこわくてたまりませんでした。

こどもがどうしてこんな仕打ちを受けなくてはならなかったの?

この気持ちは、親御さんを特定して責めたいわけではなくて何となく、何となくそんな世界すべてに感じていたことです。しっかりしなくては、悲しいことを減らしたいなら、社会や世界に求めるのではなくまず自分がたくさんしっかりしなくては、とひたすら考え続けました。

そして、

社会で生きるために必要な力をつけないと、この子はまたいつか選択の余地なく誰かに傷つけられてしまう。

そのことを想像するとただひたすら怖くて自分をどんどん見失いました。

でんきゅうに、厳しくしてしまうのです。

そのたびに自己嫌悪で苦しくて、私が弱い人間だからうまくいえなくてごめんねと言いました。彼は長い事、自分の将来の為にならないことをすると注意される、ということに驚いていました。

うまく説明できなくて、もともと虚弱な私は寝込むたびに、今自分がいなくなったらと大げさな不安を抱いて、でもどうしてもこの子が自分で選択できる将来が欲しかったのです。これは善意や、優しさではなくて私のエゴだったんです。

それなのに限界で、でも、私の代わりはいなくて、したいことと口からでることがかけ離れて自分が嘆かわしくてでもどうすればいいか分からなくて、塞ぎこみました。

そんな私にしゃんが声をかけてくれました。

そして、彼から幾つかアドバイスをもらいました。

・たくさんのことを一度に言わないこと

・直すべき行動の部分だけ簡潔に伝える事

・でんきゅう自身にいったん考えてもらうこと。私が彼の分まで考えすぎることは彼の成長にはつながらない 何がいけないのか何をすべきなのか自分自身で選択できるように彼が考える余地を渡すこと

・時には一度、失敗を経験させること

そして最後にかけてくれた「まどちゃんは本気で心配しているから冷静ではいられないだけなんだよね。誰よりも真剣なんだ」という温かい言葉のおかげで私は心から反省することができました。

最初はしゃんを巻き込みたくなくて同棲を解消することも相談しましたが、彼は笑って大丈夫この先の人生いつでも一緒にいるよと言ってくれました。

アイちゃんは親御さんの協力がなくても得られる就学支援についてたくさん調べてくれました。

それなのに声をかけてもらうまでずっと、私が私が私が、私一人でなんとかしなくちゃって気持ちでいました。

しゃんが私を見ていてくれているし、アイちゃんもずっと心配してくれていました。

私がはじめたことだから、私がしっかりやらなくてはと周りの人が見守ってくれている事すら気づかなかったのです。

それから、でんきゅうとじっくり対話する事はアイちゃんにお願いしました。

アイちゃんはでんきゅうに自分の話をしたり、色んなものの見方を伝えてくれました。

私とは全然違って、彼が出来る事を伸ばしたり、できない事は焦らさずにやれる範囲で補うような、ながーい目で見て彼の栄養になりそうなさまざまなことを話してくれました。

f:id:ma-corpus:20170608062248p:plain

勉強はしゃんが教えるようになりました。

そして私はしゃんと話して、私から言うべきかなって思ったことだけでんきゅうに伝えるようにしました。あとはでんきゅうと楽しく遊んだり、雑談をしたり、職場や日々のことを聞くようにしました。言う側ではなく、聞く側になったのです。

そして、私が怒らなくなってすぐにでんきゅうの成績はぐんぐんあがって、あっという間に志望大学レベルに達しました。それだけではなくて性格もすごく落ち着いて、寝坊癖もすっかり直ってしまいました。一時期は病院に行ったほうがいいかもと相談するほどの寝坊があっさりとなおってしまったとき、改めて自分がやっていたことはでんきゅうが伸びていくことの邪魔でしかなかったんだなと思いました。

私は彼の考えまで、「こうすべき」とデザインしようとしてしまっていたのです。

そしてそれをやめることができたとき、彼は驚くほどのスピードで成長していきました。得意な事もどんどん増えました。

でんきゅうのがんばりを褒めたあと、私が至らない人間だったことを謝りました。

すると彼は少し笑ってこういいました。

「こっちに来たばかりのとき、毎日お弁当くれたでしょ。あれ、嬉しかったー楽しみやったあ」

そうなんだーと答えたあと、帰ってからたくさん泣きました。

お弁当の話の後で「まどちゃんが真剣だったから、迷わず東京に来れたよ」と言ってくれました。

今まで何度もひどい喧嘩をたくさんしたのに、彼は私を責める様な言葉を今でも一度も口にしません。

私がでんきゅうを育てなくては、と勝手に思っていたけれど彼は彼でずっとわたしを許してくれていたんだなと思いました。

失敗ばかりで、何一つ親らしく受け止められない「お母さん」

それでもお母さんをしようとする私のことを分かろうとしていてくれて、信じてくれて、そしてさまざまな理不尽を許してくれていたんだなって気づいた頃

彼はもう私の「こども」を終わる時期でした。

大学に入れるようになっただけではなくって、

あの頃ほとんどの料理を知らなかったのに今は野菜のポタージュを手作りして、

スーツを着てオフィスでアルバイトをして、

電車の乗り換えだって簡単で

人ごみにも驚かなくなりました。

悪夢を見たら起きれなくなることも無くなりました

しゃんと私が喧嘩したら仲直りさせようと頑張ってくれます。

こちらに来たばかりの時。

病院を怖がっていたことを思い出して、その横顔に昔を重ねる事もあるのですけれど振る舞いにその片鱗はなくて、すっかり大人になりました。

もう私がしてあげるべきことは何もありません。

つまずいているときは永遠に思えたことは、終わってしまえば一瞬でした。

今ではたくさん喧嘩したり反抗されたことがずっと昔のようです。

男の子は気づいたら大人になっているよと言われたことを思い出しました。

いつかは私よりずっとしっかりした人になり、今度は彼にものを教えていただくことがあるのでしょう。

彼がどんな人生を歩むのかは分かりません。

けれどこれからも幸せでいてほしいです。

教えてあげるつもりだったのに、私が教わったことのほうがたくさんありました。

そっか私もこうやって、ここにいま当たり前な顔して立っているんだねって思ったら

子供の頃辛かった記憶がたくさん溶けていきました。

「しゃんにいっぱい支えてもらったなあ」

振り返ってすごくそう感じます。

私ははりきっていただけで、何一つできませんでした。

私の成し遂げたい事を、しゃんは黙って支えてくれました。

今度は私がしゃんに恩返しをたくさんしたいな、と話していると

でんきゅうが

「まずはまどちゃんが健やかでいること。それからしゃんと美味しいものをたくさんたべることやね。健やかでいることってすごく大事なんだよ。」

そういいました。

「美味しいものをたべておなかから元気にして、健やかでいようね。」

私がよく、でんきゅうに言っていた台詞を彼も自然に口にするようになりました。

そしてこれは、私が母から言われていたことです。

そうするよ、と小さく答えてわたしは私達が社会的に何と呼べる関係なのか考えました。

名前はありませんでした。

人にどう説明すればいいのかわからないけれど、あの頃私達は確かに誰がどの役割かわからないけれどとにかくみんなで家族だったように思います。

少しの間だけ私をお母さんにしてくれたのはみんなの力です。

おままごとよりも情けない母役だったのに、彼や、他の皆が私を母親にしてくれました。

 

その頃を思い出して、申し訳なくなったり繰り返さないようにしないといけないと戒めたり、そして最後に今皆が普通に寝て起きて生きていてくれることに誰かれ構わず感謝してしまいます。

大人になったら素敵な先輩やお母さんみたいになれると思っていたのに

誰かの人生を守る事はこわくてたまりませんでした。

このたまごを割ってしまったらどうしよう、そんな事ばかり考えた事もあります。

でも終わって気づいた事は、守らせる仕事を与えてくれていただけで

たくさんの経験をもらって、たくさん救われたのはわたしのほうでした。

これを書いている今、しゃんが変なポーズで寝ぼけて笑っています。

この前私達が喧嘩したときにでんきゅうがいったことばを思います。

傷ついてみせるわたしに彼がいった

「間違うことなんて誰にだってあるじゃない。」

その言葉で、何度私は許してもらったのかな 

いつかわたしもそう言って、家族を信じて受け止められるようになりたい。

そんなことを思いながらしゃんの布団をかけなおしました。

みんなが幸せでありますように。

できること、いっぱいいっぱいがんばりたいと改めて願いました

長くて、とても、とっても情けない思い出話でした。

それではまた、お便りいたします。

 

*余談

もともと不良だったので出会った時はTHE男みたいな性格だったでんきゅうですが

最近女性化が止まらないような気がしています・・・。

美容、美容、ひたすら美容によいものを求める彼をみて

やっぱり父的存在のしゃんに似ていくものだなと思います・・・。

しゃんが最近でんきゅうにあげたものはスーパーフードなのですが

でんきゅうはすごく喜んでいてお礼に美肌料理を作っていました・・・。

二人は本当今後どういう関係を築く気なのかな・・・?と思いつつ

f:id:ma-corpus:20170608064648p:plain

もしかしてこの家で一番女子力が足りないのは私なのでは?

という疑問がうまれる日々です・・・。

 

 

円野まど