こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

「お揃い」が嫌いだったわたし

 

 〒みなさま

 

こんにちは円野まどです。

今日はちょっと私の悪い部分というかじくじくした内面の話ですよ(`・ω・´) 

できるだけ明るい楽しい前向きな話を中心にしたいと思ってきたのですが、このごろふと、不完全なことについても書いてみようと思いました。

いたらないところや私のもつ意地悪なところですね。

私は結構ものごとについてはっきりしている部分があるのですが、正解の数はいつもたくさんあると思っていて、私が書くことでどなたかがそれを考えたり感じたり「きっかけ」になれたら嬉しいななんて大それたことを最近思っています。

それにはやっぱり等身大の自分のわるいとこも、お披露目しようってなりました。

だから、明るくない部分もあるのでもし読んでくださるなら元気なときに!

書きながら気持ちを整理していたので長くなってしまいすいません。

 

皆さんは誰かとおそろいのものって持っていますか?

私は子供の頃から誰かとおそろいをすることが嫌いでした。

もちろん最初から拒んでいたわけではなくて、些細なことの積み重ねでそうなっていきました。よろしければ聞いてください(`・v・´)

*登場人物

(円野まど) ブログの筆者。小中高とまともに友人関係を築けなかった、アウアウ系人間。

しゃん 私と同居している家族、詳しくは登場人物の項目に説明があります。都内に勤務するサラリーマン

アイちゃん 口調は女性・見た目は男性・心は両方。人間の全てがつまっているスーパーオネエさん。私より10こくらい上なので落ち着いています。

 

*おそろいのリボン

小学校低学年の頃、流行っていたことがありました。

手首にリボンのついたゴムを巻くことです。

誰かがやり始めて、かわいいと話題になって次々みんなが買いました。

最初にそれを始めた子に「かわいいね。」と褒めるとその子は嬉しそうに

「まどちゃんも一緒にやろう。」と笑いました。

帰宅して母に「今流行っているリボンのゴムのこと」「一緒につけようと誘われたこと。」を話しました。お母さんは

「そうなんだ、後で買いに行く?まどちゃん何色がいい?」と私に聞きました。

その時何色か答えられなかったことを覚えています。

「そういえばよく分からないな・・・。」

私は男の子のような格好を好んでいました。

リボンどころかスカートもあまり着ませんでした。

そういったことから可愛いものに疎いと思った母が気を利かせてくれて、幾つかのパターンを提案してくれます。

それでも私はどれがいいのかよく分からなかったことを覚えています。

色くらいしか違いがないように感じました。

そして姉の部屋にある使わなくなったリボンのゴムを思い出して、「これ持っていく。」と買いにも行きませんでした。

次の日学校で、リボンを流行らせた女の子が近づいてきます。

目が合うとすぐに「リボンしてきた?」と聞かれました。

なんだか手にリボンをしてるのが照れくさくて「したよ。」とそっけなく答えてしまいましたが、誰かに何かを「一緒にしよ?」と誘われたことがすごく嬉しかったです。今流行っているのとは少し違っていたようで、その子は驚いたように目をまるくして「それ私のとちょっと違うね。」と言いました。

(まったく同じやつじゃないとだめだったのか)と、ちょっと悪いことをした気になりました。当時から女の子の下がり眉にはすごく弱いのです。

「今日買ってくる。」と言うとその子はぱあっと喜んだ顔をして、ものすごく可愛かったのですがその後すぐに他の女の子が何人かやってきて「まどちゃんのリボンかわいいね。」と言いはじめました。

「あーこれお姉ちゃんのところから勝手に持ってきた。」

とおじさんみたいにがはは!と笑いながら仕草で身振り手振り説明してると、みんなが何か褒めてくれました。

(さすがお姉ちゃんだ・・・。)

私は実の姉にかなりの憧れを抱いていたので(カッコイイ!と思っていました)、なんか姉のすごさみたいのに思いを馳せていてその瞬間を見逃していました。

私にリボンをすすめてくれた子は泣いていたのです。

「エッどうしたの!」と最初に気づいた子が声をかけるとその子はもう堰を切ったように涙がぽろろんぽろろんあふれ出て

「私が始めたのに・・・みんな真似していやだったあ・・・。」

と言ったのです。

昨日は一緒にしようと言っていたけれど、本当は最初に誰かがまねした時からちょっと複雑な気持ちだったんだなと思いました。

かける言葉を失っていると「まどちゃんだって私が誘わなかったらしなかったくせにさあ」とさらにボロロンボロロン泣きました。

 

今なら、気持ちにやり場がないから引っ込みつかなくてそういう事言っちゃうんだなと思えるのですが当時は今以上にパーだったので????と?でいっぱいで(うおおお泣かせちゃったぞどどどどうしよ!)

ととにかく慌ててしまったことを覚えています(´;w;`)

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*一緒に勉強しようよ

高校生の時勉強が流行りました。

いや学生の本分は勉強なのですが、放課後残って勉強して青春ぽいグループを作ることが流行ったのです(書くと本当に心に負荷がある)

私も一応誘っていただいたのですが、人といると勉強ができない性分なので時々残ってお喋りだけ参加しました。私はからだが弱いので、週に3回くらい、家の人が学校まで車で迎えに来る為頻繁に参加できなかったのです。

毎日参加している人たちはすごく仲良くなっていきました。

皆で同じ付箋を買ったり、良いノートのまとめ方を編み出したり授業でも連帯感が見えて、はたからみてもなんかほのぼのしました。

(私はその頃もう、隠居というか友達と盛り上がりたいという気持ちより盛り上がって幸せそうにしている姿を見てほっこりしたいという状態にまでネクラが進行していました)

でもそれは、最初のテストがあったあたりからおかしくなりました。

「Aちゃん家で勉強してないって言ってたよね?」

グループに参加していたAちゃんが飛びぬけてよい成績をとり、先生に褒められた後のことです。その「言ってたよね?」は少しだけトゲのある言い方で、一緒に勉強してたのにみたいなこともそれに続きました。

そうして、やっぱりAちゃんがいないときに「Aちゃんは家でやるから誘わなくていいんじゃない。」みたいな感じになっていきました。

Aちゃんは、どうやってもう一度輪に入ればいいのか分からず少しずつおどおどしていきました。すごくAちゃんがかわいそうに思いました。

( 何かを横に並べて、皆で持ち合うことって難しいな・・・)

誰が悪いという気持ちではなくて、素直に「共同で行動する」ということの難しさを思いました。

これは極端な話を集めているだけで、何かを一緒にすることや足並みをそろえることで素晴らしいことはたくさんあると思うのです。

けれど私はおそろいで何かをしたから生まれたであろう「そこから抜け出てはいけない」という暗黙の縛りだったり、「お揃いにして条件を同列にしてしまったことで生まれる競争心」みたいなものをそこに見てしまいました。

だから私は意識して誰かとかぶるようなことをしないようにしました。

それでもしてしまうことはあったと思うのですが、気づいた時にやめていました。

勝手に近づいてきて勝手に好きになって、そして勝手に競って勝手に優劣を感じて一喜一憂する、そういうぜんぶが当時の私には重くてつらくておそろしかったです。

誰かが一緒にしようとか、足並みを揃えようってことが何かがべったり自分にくっついているようで、一人でいたくなりました。

その(勝手に)と思った気持ちは、私がわたしのことしか考えていなかったからです。

誰かを受け止めようとする優しさが全然育っていなくて、誰かからの気持ちにとても神経質で、私は年齢より未熟な人間でした。

つきつめると世界には好きなものと自分しかいないようなものだな、というのは今も思っているのですが、高校の頃は頑なに何かを拒絶しないと自分の考えが守れなかったように思います。

10代だったなあというと、主語が大きすぎてきちんと考えてきちんと成長している方に申し訳ないですね。私は本当に年相応以下に幼かったので、なんかこう恥ずかしいですね、お調子にのってトゲトゲしてたんだと思います(笑)

*bonさん・ponさんと今の私

それから大学生になって、お揃いはイヤではないけれどやっぱり積極的にはしませんでした。争いを生むように見えたからです。

10代の時と違って、突っぱねるような気持ちじゃなくって、誰かを傷つけるのも争うのもいやでした。だからその可能性のあることをしないようにしていたのです。

そんなの無理なのだろうけど、目に入るひとみんなに優しいとか楽しいことだけあげたかったのです。私は大きな劣等感があるから、人の劣等感に鈍感なところがあって(他所のひとはみんな優れてみえる)きっと何かを見落としてしまうから、誰かと足並みを揃えて一緒に何かすることは失敗してしまいそうで怖かったです。

私は誰かを傷つけないで仲良くする方法がほんとうはわからないんです。

だから、全然かっこよい理由じゃなくてわからないことからとりあえず逃げました。

そうして過ごしている中、この前偶然にbonさんponさんというご夫婦を知りました。

ご存知の方も多いかもしれませんが結婚して37年になる60代のご夫婦です。

bonpon511というご夫婦の共有アカウントでインスタグラムをなさっています。(511は二人のご結婚記念日だそうです、すてきですよね)

お二人はサイズ違いのお洋服だったり、カラーを合わせたりどこか「おそろい」要素のあるコーディネートでデートをなさっています。

その仲むつまじい様子になんだか胸が温かくなってしゃんに「素敵だねー!男女でおそろいなんて!」と話すと「うん、でも俺らもコートとかお揃いのものたくさんあるよね?」と言いました。

そういえばサイズの違うおそろいのスプリングコートを持っているのです。

他にも身近な人と色違いのスニーカーを持っていることに気がつきました。

パジャマにいたっては親しい人何人かでお揃いでした。

(おまえめちゃくちゃお揃いしとるやんけ・・・

そんな言葉が脳内に響きます。

私は幼少期からずっと標準語圏で生活しているのですが動揺の余りツッコミ用の別人格が芽生えるところでした。

「そうだお揃いだった・・・。」

私は答えながら気まずそうな顔になりました。

忘れてたの?あたま大丈夫?といつものようにしゃんの冷ややかな心配が脳内電波に飛んできます。(目がそういっている)

おおまいがー・・・このブログは下書き行きだ・・・と思いながらもちょうどいいタイミングだったので今までのおそろいは恐ろしい伝説を話しました。

「お揃いにすると、最後はいつもモメちゃうんだ。」

そんな風に話す私に、しゃんは首をかしげていました。

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*お揃いにするということに内在されるもの・されないもの

話を聞き終えたしゃんは

「お揃いだからもめるんじゃなくて、本当にしたいことでもないのに波長を合わせるフリするから、結局だめになっちゃうんじゃない?上辺のことってその場は便利だけどずっとは続かないよ。」

と言いました。

おそろい→もめる ではなく

自分がしたいからするお揃い→ もめない

自分がしたくないのにするお揃い → もめる

確かにおそろいにしたら争いを生みやすくなるはちょっと乱暴な考えだったかもと思い始めました。それについて考えているとアイちゃんがそれに続きました。

程度とか距離感って相手によって本当は違うでしょ。髪を触られるのが嫌いです、とかいってても好きな人ならOKだとか。まどちゃんみたいに親しくなるまで声も出ないけど、親しくなったらアルティメットうるさいとか。そこの感覚をいつも正確に周囲に把握してもらえたり、価値観が同一の人同士とだけ付き合えるなんてことはできないから、そこまで親しくない人ほど身軽な関係でないといけないのよね。」

二人の話のぜんぶを理解ができたわけではないのですが、分かったのは「誰かとおそろいにするから競争が生まれるわけじゃない」ってことでした。

私が焦点をあててきたことが、何か違う。こういうのなんていうんだろうと考えているとアイちゃんが身を乗り出して

「パスタ食べるの?あたしも食べたい!」

と手をあげました。

そして1kg1パックのパスタを皆が食べる分だけ抜いている時思いました。

わたしは時々すごく簡単なことを難しくしてしまうなって。

うまく説明しきれないのですが、私はずっと強欲だったのです。

今も結構強欲ですが、もっと強欲だったのです。

誰かと自分を分け合うことができなかったのです。

お揃いって何かを分け合うことだといえると思うんです。

リボンのゴムならそれがもつイメージを。

放課後に残るグループなら気持ちや時間を。

時には自分という個がもつ境界線を。

物だったり、何かシンボルになる行為だったり何かを「そろえる」こと。

それが無形の圧力によるものじゃなくて絆みたいなもので結びつきあうのなら、とても心強いのだと今なら想像できます。

別な角度から見るとそれらは自分と相手との個人のラインを少し曖昧にします。

私は「自分」でいるのに必死で、それが出来なかったのかなって。

子供の頃は自己を分け合えるほど親しくなれた人がいなかったのです。

これは多分こんなに深く考えることじゃないんですよねおそらく多くの人にとって。

お揃いしてたけどケンカになった、まあよくあるみたいなそういう小さな諍いを受け流していくことは当たり前にたくさんの方が出来ていて、そしてそれは時と共に上手にそういう波をやり過ごせるようになっていく。

でもわたしはこういうとき、たまにがんじがらめになってしまいます。

 シンプルにいうと

「ねえこれおそろいにしよう?」

は好きな人にだけいうことばだったんだなって思います。

分解するとこんな簡単なことなのに、私は時々いろんな名分をかかげて「今それをしない理由」「変わらない理由」を作ってしまうんですよね。

私は自分の境界線に誰かが入ってくるのがとてもとても怖いです。

ずっと友達がいなかったから、誰かを傷つけることも傷つくこともないほうが楽だなと思うようになっているところがあります。

まだまだ、人間関係は勉強中で失敗ばかりしてひそかに落ち込むこともあります。

だけど、自分ばかりを傷つきたくない傷つきたくないと守ってきた私におそろいが出来る人ができたことはありがたいことだなと思いました。

制服を着ていたころの私。

神経質そうな顔で誰かと一緒にならないようにと気をつけていた自分の姿を思いだします。その時から自分にかけていた呪いを一つ捨てようと思います。

 

誰かと一緒に何かしても、傷つけないでいられる

うまくいかないことがあっても、それはその時と場合と人の一部や全てでしか試してないことなのかもしれない。

 

あれから何年もたって、今ようやくすとんと理解できたのです。

わたしは本当にのろまなやつです。

 

とってもながい、私の自分を分解する行程でした。

読んでくださった方がおりましたら本当にありがとうございます。

皆さんは誰かと一緒にしていることや、おそろいのものはありますか?

あなたはすてきだから誰かと分かち合うものをきっとお持ちなのだと思います。

私もほんのすこしずつ、そんな関係を築ける人間に成長していけたらと願っています。

 

それではまたおたよりいたします(`・v・´)

 

追伸 

bonさんponさんのかわいいインスタグラムはこちらです!

恋人でも友人でも、どんな関係であっても、こんな風に年を重ねるお相手ができたら、素敵ですね(`・v・´) 

 

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円野まど