こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

これからの性別についてのとってもぼんやりした話


 

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〒みなさま

春になると眠くて眠くてたまらない円野まどですこんにちは。

 

今日は先日知人と話してきたことを書きたいと思います。いつもより少しまじめなお話になりますが、優劣だったり是非を考えたいわけではなくてそれぞれに自然な「自分にとっては、どういうものか」を考えていただけたらとても嬉しいです。

 

【これからの性別についてのとってもぼんやりした話】

 

*はじめに

3月8日が国際女性デーでしたので、女性にまつわる社会のあり方や、これからの性についての記事をあちこちで見かけた方も多いのではないでしょうか。

LGBTという言葉が広く認知されはじめた今、働き方・衣食住のあり方・学び方に留まらず性のあり方も多様化している、加えて多様化することが市民権を得始めたように感じています。

筆者は他者の権利を故意に侵害したり、損害を与えたりしない限り、個人が個人の願いを叶えて生きていけることは望ましいことだと考えています。

また家庭における育児の分担なども、日本では「基本的に女性の行う事である」と考えられてきましたがその構図に少しずつ変化が起こっています。

イクメンという言葉すらも古くなり始め、育児に積極的に参加しないことは父親として望ましくないという向きがしっかり出来つつあるように思います。

併せて、自然に双方が協力しあう家庭も増加しているのではないでしょうか。私が子供の頃よりも、ベビースリング(他抱っこ紐)をしてショッピングする男性を多く見かけるようになりました。

今まで女性が主として行ってきたことの多くが「女性だけが行うことではない」と価値が変わっていく波を誰もが感じているでしょう。

そのような中、先日大学四年生の知人にこう言われました。少し長い主張ですが、カットすべきではないと思ったのでそのまま掲載します。

「俺は女の子になりたい。一般的に、女はうまくいかなくなっても結婚すればいいし、働きたい人は働ける。どっちみちメインで働くことを絶対は求められない。女の人は権利を剥奪されている、虐げられているといいながら男にタダ働きを要求しているように感じる。男は生活のために様々な役割を担うべきで、自分は自分らしくいたいみたいなことを言ってるように感じる。そんなに女が不平等な目にあってるか?ってよく思うよ。得なことのほうが多いよね。女は都合の良いところだけ認めて欲しくて、男の行動は当たり前になっている。女ばかり得をする世の中になっている。これをいえばモラハラになるってまじかよって思う。」

私は衝撃を受けました。何故かというと、これが身近な(親しいわけではないです)20代の男の子の言うことだったからです。今時・・・とかその良し悪しを思ったわけではありません。

彼一人の発言を同世代の男性の意見の代表の様に一般化するつもりもありません。

ただ彼にどう答えるべきか、少し迷ってしまいました。私はその判断が個人の裁量だという考え方を持っている、しかしここまで言うのも何かそう思う経験をしたのだろうし、すごく返答に迷いました。

考えたことは二点あります。

・時代や社会が変わったと思っていたけれど、変わったのは女性の意見だけなのだろうか

・男性は実際に損をしているのだろうか。そうならばどうすればよいのか

 

私はどちらかというと前時代的な教育を受けていて、女の子だから所作に気をつけるように言われて育ちました。ただそれはまったく他人に押し付けるものでも、主張する気もなく「したいようにしたらいい」という考えの人間です。

そういう問題についてはかなり暢気なほうです。

譲り合えばいいよねくらいの軽い感じです。

そして改めて思うと身近な人がここまで拒絶するような問題となっていることに驚き、そのことについて少し考えてみました。よろしければお付き合いください。

 

*「女性」が求めるもの

2016年で男女雇用機会均等法成立後、30年となりました。

25~44歳の女性の就業率は、昭和60年(56.5%)から平成27年(71.6%)まで上がり、それに伴って一般労働者の所定内給与額の男女間格差(男性=100.0とした場合の女性の所定内給与額)は、昭和60年は59.6であったが、平成27年は72.2となり、数字上は順調に格差が縮小傾向にあると言えます。

(資料引用:「平成27年版 働く女性の実情」を公表します |報道発表資料|厚生労働省

数十年前と比較すれば、女性の社会進出は実に目覚ましいものがあると思います。

それでも今までとは違う形の社会を作るには、たくさんの齟齬があります。

そしてそれらを解決するためにも、与えられた変革ではなく女性自身が「これを変えたい。」と声を上げる事はとても重要です。

「自分が住む家なら、自分で条件を定めるのは自然なこと。」

そのことを私はこんな風に考えていました。

しかし、ここでいう家はこの社会のことであり、そこに住むのは女性だけではない、ということを先の知人の発言で思い至りました。

日本におけるこれまでの男女のあり方に、大きく問題があったのかどうか私には答えがでません。ただ、現在の社会に合わなくなってしまったことは感じています。

社会が変わる契機となったのは、女性が教育を受ける機会に恵まれたことだと私は考えています。そして次に、文明が進んだことにより生まれた様々な変化なのでしょう。

女性達は家事労働以外にも進む道を獲得しました。

自分で自分を養っていくことも可能になりました。

妻や母である前に「自分」であることが可能になり始めています。

そして様々な性差のない文化が、国境の垣根なしにいつでも自由に閲覧できるようになった今、その理想のライフスタイルはそれこそ人の数だけあるのではないでしょうか。

最近頓に望まれる「男性の育児への協力」や「女性が働きやすい社会」も「女性の権利主張」というより「女性が自分であることを実現するためのもの」、つまり自分で望む人生を決めるという選択肢の回復を望んでいるように感じました。

現在それが、正当性や平等性を取り戻しているのかどうかは今回は触れず、これからもう少し考えて行きたいと思っています。

*実際に男性は弾圧されているのか

2017年3月現在、日本の首都・東京の知事は小池百合子さんです。

彼女に限らず、近年、女性も政治で要職につくことが増えて来ていると感じています。しかし、それでも日本は国会の女性議員比率が世界で156位です。これはアメリカの95位、イギリスの48位、中国の71位を見ても高い水準とは言えないでしょう。

(資料引用 Women in Parliaments: World Classification

これは女性が進出を望み、不平等であると演説するのも理解できる数字になります。

問題が違うので一概には比べられないことですが、男性に不平等であると筆者が感じる一件もあります。女性専用車両導入をはじめとする痴漢問題については「痴漢に間違われたくない男性」「偶然にも肘などの体の一部が当たってしまった男性」も多くいるにも関わらず、一方的な措置のまま問題が留め置かれているようにも思います。(被害に遭う女性の苦しみを軽く見るわけではありません。あくまでお互いの幸福と平等の話です。)理不尽な屈辱を防止することは勿論ですが、「そう思われないために男性がどうすればよいか。」がとても難しいまま維持されている話だと個人的には思っています。

実際に女性が社会で受ける処遇については「正しい接しかた」が大変難しい時期にさしかかっていると感じます。

価値観は時と共に少しずつ変わるので、世代によって価値観のずれがあることもないこともあると思います。例えば、私の父はやはり「女の子が男の子より前に出るべきではない。」と考えています。しかしそれと同時に「どんなことがあっても妻を守る。」とちょっと娘としては赤面するようなことを平気でいう男性です。

これは形が違うだけで、愛情の示し方がその時の価値観や文化によって違うだけなのだと私は考えています。しかし言葉だけを見れば、これはハラスメントに見えるしそう認定されることもあると思います。

現在は、男女両方が支えあって生きていく、もしくは好きなように役割を担い合ってオリジナルの家族構成をする、という形に変わりつつあるのだと思っています。

非婚化であったり、シェアハウスのような共同生活体系が出来たり、同性婚を結婚形態と見なす条例ができたり(渋谷区)、お互いの仕事の為別居婚をされている方もいます。それが多数派というわけではありませんが、この「~のような家族が一般的だ。」という生活すらも最早少しずつ過去の文化になっていくことを感じています。

その中で、「男性らしさ」とは何かを考えることは無価値に近いのですがおそらく男性も「男性らしい」というモデルの中で優劣を感じて悩むこともあるのではないでしょうか。

彼氏に「引っ張ってもらいたい」と感じる女性は今も少なくないと思います。

男性には父性のような確かさを望みながら、女性としてではなく個人としての道を進みたい。こう考えている方が多いのかは知り得ません。

しかし芸能人やキャラクターにおける人気の男性やその理由を見る限りはまだまだ男性もある種の「男性らしさ」が無条件に望まれる状態にあると感じています。

この点を考えると男性が人生を切り開くときも、「男として」ではなく本当に望む「自分」としてであっても良いのではないでしょうか。

そしてお互いに本当に望む自分で好意を持ち合ったものたちが、新しい家族や社会における共同体を営むことで本当の平等と言えるのかなと、仮の答えがでました。

仮の答えとしたのは、やはり男女では身体差があります。その点を考えて、譲り合ったり許しあう部分も細かくはあるのではないかなとこれからも考え続けていけたらと思っています。

*私がぼんやりと望むこと

私が性における権利問題についてよく気になるのは「何が悪いか」「男性(もしくは女性)のここに問題がある」と言う指摘についてです。実際に協力してもらわなくてはいけないので、指摘は避けられないのかもしれないのですが何かを変えようとする時に「対立構造とすると問題が広がってしまう」とよく感じています。

実際に「男性だから、女性だから」ではなくて「その人だから」ということが殆どだと思います。

先述の私の知人も、「男性なのだから」と様々なことを言われたのだと思います。

しかしそのワードを言わないでお互いを尊重し合える人は存在するし、同じ男性女性LGBTであっても、結局はその人の選択が行動を決めます。

私はモンブランが好きですが、女性が皆モンブランが好きなわけではないようにこの括りが意味をなさないことはたくさんあります。

筆者が考える本当の平等とは、社会における記号に拘らずにその人そのものを見ることができることです。そしてこれは何人に押し付けるものではありません。

皆さんが思う幸せだなと思う生活を、皆さんが決定していける世の中になっていくために必要なことがなにか、ということの答えはそれぞれが持っていると考えています。

繰り返しになりますが是非を話し合うつもりはありません。

なぜならそれこそが、性別への固定された価値観の始まりだと考えるからです。

自分が幸せである道をすべての人が選択できることを願います。

長文を読んでくださりありがとうございました。

それではまたお便りいたします!

 

円野まど

 

追伸 ちなみにこのブログは普段の九割が雑記というかのんびりとしたゆるい話の更新です・・・