こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

子育てが完璧な親なんて一人もいない。なんでも正しい人も一人もいない。

〒 みなさま

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円野まどですこんにちは。

月曜日から物騒なタイトルをつけてすいません。

これは愉快じゃない話で、このあと普通の記事を更新するのでこちらはスルーで全然大丈夫ですよ!普段交流のある優しい皆様を困らせたくないのです。

これは愉快な話ではなく怒りの話なのです。

 

昨日は瞬間的にすごくもやもやすることがありました。

携帯で別な文章を読んでいて、誤ってクリックしたくらいのご縁なので、そのことに言及する筋合いもないと思いつつ、1分くらい悩んで、書こうと思いました。

でも不愉快になる方がいるかも、ごめんなさい、でも書きます。

 

*きっかけとその時の思い

私がふと目にしたお話は簡単に書くとこういうことです。

相談者「子育て辛い。ごめんなさい。とても辛い でもうまくできないと毒親だと思われる凄く辛い」

それに対するコメントの5割くらい「なんで生んだの?」「子供にあやまって」「ネットしてないで子供を見て」「言い訳するなクズ」

私は出産・育児経験者ではないのですが同級生や身近な人が一般的に不適切であるとされる育児環境に置かれているという状況を何度か目にしたことがあります。

それをきっかけに、ケースワークとしては何があるのか考えたり調べたり、学んだことがあります。育児における問題について、子供に罪がないことは勿論ですが保護者を断罪することに何の意味がないケースもまたたくさんあります。

「どんな理由があっても子供のことはあなたが悪いよ。大人だし、親でしょ?。」

これを言うのは簡単ですし、とどのつまり弱いものに対して強いものが責任を取るのが社会としてうまくいくやり方なのかもしれません。道徳の意味でも、間違いはないように見えます。そして、多くの方がどう思うかということを示す動きに意味がないとは思わないのです。

でも、「子供の問題を抱える親」に対して投げかける言葉としては欠点があると私は考えています。

「解決策が示されていない。」からです。

不満を持つこと、漏らすこと、失敗することを禁じられた親をただ強く断罪することは何も子供のためにならないように思います。

そうして誰も助けてくれないと思った保護者が次に起こすアクションが、養育をしている子供に何かプラスになることができるかというと、難しいと思っています。

例外としては、その子供を自分が養育したり援助すると覚悟しているならそれもまた良いのかもしれません。私は一人の人間として自分も失敗を犯します、だからちょっとハイになっているような状態じゃないとあんまり人の批判はできません。

ハイになってるときする所がまた、今後の課題なんですけどね・・・ワハハ。

 

*誰かを叩く社会・伝えたいこと

先ほど書いた育児相談の件なのですが、相談することで解決されている方を見ることもたくさんあります。これはこの場でたまたまこういう割合だったのだとも思うし、いつもこうだとか1つのケースを一般化するつもりはないです。

けどこういう「相談に対しての強い批判が起こる」ことは単発だけど数が多くてありふれていることです。

批判を受けることを目的として宣伝を行う炎上マーケティングという手法が広く認知されていると思いますがこれは「何かが叩かれることが当然にある」という背景があるからこそ成り立つものだとも言えます。

子供のことに限らず、誰かの相談に対して思い切り否定する。

相談内容を思いついた人格ごと批判する。

何か穴だと思ったことに対して思い切り指摘する、大きな動きになる、

この動きはどんどん強くなっているように思います。

以前マツコ・デラックスさんが国内で起こる様々な問題に関して本質的な解決策が必要な段階にきているのでは、という発言をなさいました。

www.nikkansports.com

こちらで触れていることでもっとも共感したのは

「全部クレームを入れてたら、そんなに世の中すべての人が100%満足できる形なんてないわけじゃん。」という言葉です。

意見をもつことは素晴らしいことです。何かを改善しようとする試みも。

だから、私はインターネットで発生するさまざまなムーヴメントに対して

止める術を持たないと思っています。そうした事例が様々な新しいものを作るのです。

けどすごく矛盾しているな、と思うこともあります。

弱者として声をあげたり、不利益を被っているといって声をあげる人たちの中に、「子育てが辛い」と嘆く、子育ての中で力を失くしていくひとを水に沈めるように叩いて浮上を許さない方がいることです。

インターネットが一般に普及したことで、私達は社会における「発言者」になる機会を得ました。小さなストレス解消だったり、ちょっとした軽い気持ちで他人を傷つけるようなことを言うこともあるでしょう。それも人間の姿なのかもしれません。

そういうことの全てを禁止できるともするべきだとも思っていません。

私が訴えたいのは、もし本当に解決したいと思う時「その意見。問題を解決に導きますか。」ということです。

感情を連ねることでスッキリするのは自分だと、今これを書いている私自身にその言葉を向けています。

以上が私がこれを読んでくださった方にお伝えしたいことで、下記は私のぼやーっとした意見になります。読んでくださり、ありがとうございました。

 

*この件を見て私が思ったこと

 

私にとって、こういうことに対しての答えをもつのが難しい理由のひとつに

「苦言が正しいケースが大いにある。」ということがあります。

そしてインターネットにおける放言体質なんていうのはもうずっと前から当たり前に存在していて、それは心無い人たちによって形成されるかというとそうでもないと私は思っています。

インターネットにおける掲示板や発言可能な場所というのは殆どの場合、人格の一部を投下する場所であると私は考えています。

たとえばめちゃくちゃひどいことをいう人が、誰かを殴りつけるかというとそうでもないだろうし、そうであることもある。

つまり、ここでの発言でその人の全てを理解することもできないし、でも一部を推測または理解することはできてしまう。細い情報ですが、それでも構成要素です。

まったく人格が反映されていないものじゃないから傷つくのかもしれないですね。

前述の子育て辛いの相談は釣りかもしれないけど釣りならまあーいいじゃないかーと思うんですよ。ただ疲れてる人がいなかっただけだし。別に無視すればいいと思います。

けど、いるかもしれないんですよね。

本当に追い詰められているかもしれない人に、甘えんなっていうことがどういうことなのか分からないのかなって、一瞬思います。大人になったからって完璧になれるわけでもないし、完璧を求めたら誰のことも許せなくなると個人的には考えています。

意見をいうなってわけじゃないですけど、子育ての悩みを追い詰める系の話は本当に見ていて胸が痛いんです。

「その人にとってどれだけ辛いか。」

多分、分からないんだろうし、そもそも分かろうとする気もないんだろうし、そしておそらく、分からなくってもいいことなんです。分かることまでする必要もない。

けど触らない(無視)のと殴る(叩く)のはどこかで差がでます。相手に届けば。 

私が今怒っていることはすごく無意味だと どこかで理解しています。

「稲植えたけど、全部は実らなかったわ~!」

これくらいどうしようもないことというか、自然に起こることなんだと思います。

生きてれば手のひらくらい怪我するよねみたいな普遍性。

当たり前に、ネットやってたら叩かれることもあるよねって事実はあります。

私はネットでゲームをしていたので日本語でもそうですし、英語でちょっと優しい皆様の目に触れさせたくないような激しい罵り方をされたこともあります。

私は自分がされるときより、親しい人がされるのを見るとちょっと冷静な気持ちではいられなくなってしまいます。

私の文章を書きたい という気持ちが欲求であるようにインターネット欲求の場ともいえますよね。調べたい、知りたい、見たい、聴きたい。

なので当然、オブラートに包んでいない気持ち「あ、この人嫌いだなー。」という気持ちも落ちています。

たまごをお腹であたためるか如く愛に満ちて過ごしているにも関わらず、突然 

場を荒されるなんてことは、おー今日は雨なんだ!くらいの確率で発生します。

だから

私が傲慢さやちっぽけな正義感を振りかざして顔を真っ赤にしてそんなのヤメロー!と

ヒステリックに言ったところで単にお笑い草なだけなんです。滑稽です。

今これを書いていることもすごく道化です。

でも時々ものすごく悔しくなります。

自分の想像する普通を万人に要求することがあたりまえに正義で正論だと思ってたらいつか人が死ぬって思って、ものすごく悔しくなります。

誰かの利益になりたくて、この事を考えてできるだけ正しいことは何かって考えました。今の自分でもできる正しいことってなにかなって。

でも、この私の考えすらいつでも使える正しさはどこにもないんです。

相談者の悪い点を厳しく注意する正義感が一番弱い人を守ることもあると思うし、最悪のケースを防ぐ力になることもある。そして毒が毒を制してまるくおさまることもあります。

じゃあ何が正しいのか私もわかってないんだなーと思って怒りがここからトーンダウンしはじめました。

私達はネットを当たり前に手にいれて、誰もが発信者になる機会を得ました。

私達の進化とその加速をもたらすはずの技術が、質問や相談することすら窮屈にして、でも多分こんなことすら踏み固めて、礎にして技術は前に進むんだと思います。

多分、運悪く助からなかった人を土台の中に埋めて。

それも歴史です。

たとえば体の弱い私はたくさんの人が亡くなったおかげで発達した医療の上に生きてるから。ここまで書いておいてとどのつまり

結局、私は何も変えることができません。

というようなことに行きついて、そんなわけあるかーーー!と思いました。

それからめちゃくちゃ考えて、考えてやっと一個決められたことは

知らない人のことはわからないけど、私は今話してる皆さんとか、普通にリアルの知人とか、全部、子供育てるの辛いって言われても、否定から入らないで話聞こうって思いました。

すごいちいさーい決定ですよね。ここまで読んでくださったのにごめんなさい。

文章もめちゃくちゃでごめんなさい。いきおいで書きました。

私は世界を変えることはできない、でも自分を変える事はできる。

よく知らない人を理解しようとすることは出来なかった。

でも、今接してる人を理解しようとすることは出来る。

今これを読んでいるひとの多くは、何なに~きょうどうしたのこわっ!て思うと思うんですけど(笑)もし一人でも、誰かの作った完璧な大人になれなくて悩んでいる人がいたら、わたしはそれでも、全然大丈夫だって思います。完全な人なんて誰もいないです。

自分を嫌いにならないようにだけ頑張って、それでも難しい時は身近な人に助けを求めてください。

子育てのことなら、安全で、健康で、きちんと食べさせていればそれで後で冷たくしてごめんねっていってもわかってもらえるような気がします。

私はそうでした。(父と私の関係ですね)

大人も親も、社会が識別するための記号です。

誰かができることができなくても、必ず自分にできることがあってその自分にできることを粛々としたり、思い切り休んだりすることは全然悪くないって思います。というか、間違わないなんて絶対無理。

だってわたしこれ読み返したら絶対恥ずかしいと思います。

この文章はもっとかっこつけて書けたはずです。

冷静に、社会学的には~とかケースワークの事例をあげながらもっと知的な円野まどをアピールできたはずです。(あほ)

普段交流のある方に「円野さんって知的なところもあるんだ・・・!」みたいにハートの視線を向けてもらえるように画策することもできたはずなんです・・・クッ もったいないことをしました。

でもここまで書いて、「とにかく相談したひとが叩かれてて!ネットだから当たり前だけど!嫌でした!でもわたしは無力!」のみの話を懇々と連ねています。怖い。

おお今日は熱くなってるなあ・・・あとでこっそり消そってなります。

また間違いを重ねてしまいました。私の人生は恥だらけです。

大人になっても間違って覚えての繰り返しです。

だから、うまくいえないけど辛い時助けを求めることをやめないでいてください。

 

結論はいっこだけ、大人になっても完璧とか普通になんてなれないです。

誰かのどこかは普通で、誰かのどこかは異常です。

同じ人はどこにもいないからです。

だから、自分じゃできないことがあったらできることだけやって、できないところを甘えてください。子育てが完璧な親なんて一人もいない。なんでも正しい人も一人もいない。親を完璧に愛する子供は、親の間違いすらも愛しただけです。逆も同じです。

それは1つの幸せなケースだけど、すべての人に向けられるものじゃなくってぜんぜんいんだと思っています。

ふう・・・恥を一日晒すのもつらいので、このあとちょっといつもの記事もかきますね(

読んでくださった方がいましたらありがとうございました

ちなみに私と同じ考えじゃなくても全然いいですし、文章めちゃくちゃで何いってるのかわからないよ??という方の気持ちも大いにわかります。

私が書いておきたくて書きました。

だから少しすっきりしました。

誰かに怒りがわいても結局課題があるのは自分自身だって気づかされることばかりで、本当に驚きます。わはは頑張ります!

 

それではまたお便りいたします!

 

円野まど