こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

誰かに嫌われたくなくてもうだめだと思った

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〒みなさま

 

今日は全然ゆるゆるなお話ではないので、もし疲れてるときは全然お読みにならないでいてくださいね。うまくいえないのですが、愚痴に近いような気がするので、ちょっと書くのは気がひけるのですがわたしの話です。出来るだけ取り繕わないで書くので、私に失望したり、嫌いになる方もいらっしゃるかもしれないのですが、正直に書きます。

ただ、誰かに対して不愉快にさせたくて書くわけではないのです。だからもし、いやなきもちになった方がいたら本当にごめんなさい。

明日からはまた白目をむきながら書いてるとしか思えないゆるいことを書きます!!たくさん書きます!!

 

 

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ブログを書き続けること

この頃、ブログを書きたくても書けませんでした。

正確には記事を幾つか書いたのですけれど、アップすることができませんでした。読み返したとき、誰かがご不快な思いをするかもしれないなあと思ったからです。

それは子供を生む生まないの話だったり、感情を抑制することについての話だったり、ニュースの感想だったり様々なことだったのですが、書きたいと思って書くのに書き終わったらこれはだめだなあと思って下書き欄にいれてしまっていました。

最初は単にうまく書けていないから、と思っていたのであんまり気にしないでいたのですがそのうちにだんだんとブログを開いて色んなことをすることを一日の最後にするようになっていきました。そして少しずつブログを書かずにツイッターで短文を書いたりするだけになっていきました。長文で何かを伝えたくて書くと、大体下書き欄行きになるようなものしか出来ませんでした。

こんなことは

「別に誰にさせられているわけでもないし好きなようにやめたり休んだりすればいい」という結論に自然になると思いますし、私もそう思いました。

何かを書きたいと思う気持ちはあったけれど、たまたま今ちょっとやる時間がないからツイッターで短い日記でも書いてみようと考えて一週間くらいそれを続けました。

その間に知人と話して面白いことがあったので、それをまた書いてみたりしたのですがまた下書きにしてしまいました。

書いたけどアップしないという記事がどんどん増えました。

「やりたくなければやらなければいい」のですが、私は書きたいけれど書けないような、書きたいけれどアップできないような、なんだかブログそのものに対してどんどんハードルをあげていってしまいました。ツイッターはてなで知りあった方にハートを押していただけたら嬉しいし、みなさんが楽しいことを呟いていらっしゃるのをみて笑顔になるのに、ブログそのものからは遠ざかっていく。何でなのか、三日くらい、時間が空くたび考えていました。

 

ブログが書けなくなった理由

このブログは最初にどなたかが観てくださるようになって、最初は一日3人くらい、次は10人くらいの方が見てくださるという状態が続きました。

私はそのことがすごく嬉しかったです。

普通に生きてたら私はあまり外出しないので、そのぶんどなたともお話をする機会はないです。それをどなたかが通りかかってくださったんだと思うと喜びでいっぱいになっていきました。

もしかしたら昨日見てくださった方がまた見てくださってないかなと想像するだけで幸せで、毎日ブログを書くのが楽しみでした。

人の記事を読ませていただくのも好きでした。

どなたかがお話をしてくださっているみたいで、あまりに個人的な世界でのみ生きている私にとって、新しいことばかりでみなさまがお話を聞かせてくださることはとても幸せな体験でした。

毎日書いてみたいことはたくさんありました。書くことが大好きだからです。

先月の中旬くらいから、ちょっと想像してるよりたくさんの方が見てくださる日がありました。単純にすごく喜びました。

その頃から、下書きにすることが増えました。

最初から気にはしていたのですが、誰でも見ることができる状態にあるのだから、たとえば差別的に思われるようなことを書いたり、想像させたりしないようにしたいなとか、強く思い始めました。

それは今でも気をつけるべきことだとは思うのですが、だんだんそのことに神経質になっていきました。これはこういう見方をすれば、こういう人を攻撃しているように見えるかもしれないとか、色んなことをたくさん考えました。

それと、ブログを始めて交流をはじめたいろんな方のことを素敵だなって思ったり、応援したくなったりしました。だから、最初の頃はあまり気にせずバンッとかけていた自分の暗い部分やバーッと記憶をなぞる癖とかも書かなくなっていきました。

たのしい、あかるい、やさしい、できるだけいいことばかりを書いて、少しでも楽しい気分になってほしいなって欲が生まれました。

好かれたかったからです。

そしてブログの隙間がどんどん空くようになりました。

すぐには何でなのかよく分からなかったので、私はできるだけ関係ないことをしようと思っていい加減に過ごしました。たくさん昼寝をしたり、戦国無双で最強の武将を作ろうとしたり、ミルフィーユを連日購入するという体重へのテロに及んだりしました。

そのうちに私はいつもの「もうブログはやめて別なとこで何かしよう」みたいな荷物をまとめて逃げるような気持ちになりました。

そして別なブログを開設しました。

それは本当に一日の思ったり行ったことを書く日記色の強いものです。

プライベートなこともあけすけに書きました。

こちらで書くことと、もう一つで書くことを分ければもっと書けるようになると思ったのに、相変わらずこちらでは下書き行きが増えるままでした。

それを親しい人に話したりしていたら、昔のことを思い出しました。

私は昔ある文章を書くサイトをしていて、その時もどんどん人が来て下さるようになってうれしくて舞いあがって突然やめました。同じことを繰り返していたのです。

それと同時に何故できなくなったのかわかりました。

それは読んでくださる方に嫌われたくなかったからです。

 

誰かに嫌われたくないという気持ち

ネットで知り合って、好きも嫌いもないでしょうという方もいらっしゃると思いますし、自分でもとても幼いことだと思うけど、正直言って、原因は完全に「誰かに嫌われたり、失礼だとかあつかましいと思われたくない」という気持ちでした。

私は友達がほぼいなかったし、今もほとんどいないというようなことは何度か書いたと思います。私は社交性が低くて、それを補う努力も足りないので誤解されても仕方のないようなことをどんっとしてしまうことがあります。

誰かに声をかけられたら舞い上がってとにかく好意をしめす「すすすすきです」という光線を出しまくります、そういう気味のわるいことばかりするので、人生において何度か「あいつがいなければ今日は幸せなのに」「視界に入るだけで不愉快」というようなことを言われたことがあります。

それは言ったお相手が良くない人なのではなくて、振り返れば私が何も知らないからで、もっといえば知らないことを知ろうとする努力不足だったのです。

空気が読めないという言葉じゃたぶん言い表せないくらい。

私はそういう気のまわらないところがあるので、時々たくさんビクビクして過ごしています。来てくださる人が増えるとだんだん嫌われたらどうしようと思ったり、嫌われたくないなと思い始めました。

だから異様に明るい記事を書くことにこだわるようになりました、誰もそれを望んでいるとは言っていないのに、自分で自分に要求を出し続けていきました。

たぶんわたしは、子供のころみたいに、また誰かを不愉快にすることが怖かったんだと思います。

それでも書きたいという気持ちとは決別できなくて、また別なブログを始めました。

つまり書きたいし、嫌われたくないから どうしようもなくなっていました。

やめることもできないし、やると嫌われたくなくて手が止まる。

何がしたいのか、自分でもわからなくなってきて、とにかくだらけたりしていると身近な人が私に目が覚めるようなことを言いました。

 

私の本質

 「そもそもまどちゃんはすごい我侭なんだから、他人の良いようにいつもすることはできないんだよ。」

という話から始まりました。

私は典型的な内弁慶でしたいこともしたくないこともかなりはっきり決まっています。

ただ、自分なりに他人にそれを押し付けたり、それを身内以外にすべきではないという線引きがあったつもりでした。これは想像以上にやばかったのだろうかと思いそのことを聞きました。

「それは人に対して当たり前のことだし、そうしていると思うよ。でも自分の気持ちを書く場所で、全員に遠慮して書くことはできないし、そもそも全ての人に不愉快のないように書くことで本音を記すことって無理だし、不愉快にするつもりじゃなくても不愉快になっちゃった人がいて、それをまどちゃんが謝っても怒ってたりすることがあったとする。実際今までなかったけど、もしあったとして、それって本当にまどちゃんが悪いの?自分がわるいわるいって逃げるのは、相手のことをなめていることにもなると思う。」

お相手におこがましい感情を抱くのはいけないことだなと思いました。

そして最後に

「そもそも、多分友達がいないのは自分を変えたくなかったからなんじゃないかな。その頑固さと我侭さも、またまどちゃんなんだよ。

そして表現することというのは、敵を作ることもあるし、それが故意な暴力じゃないならそれを必要以上に避けることはないと思うんだよね」

という話をしました。

簡単にいうと、もっと自分の思うままに書くようにということでした。 

この人のおじいさんは日本画家なので、小さい頃から展覧会をついてまわっていて

「表現をする」ということに対してたくさん考えてきた人です。

それがお仕事料をいただくプロであることに限らず、個人の会話のようなことでも、「生きることは何かを表明したり表現する」ことだと考えている人なので、私にとってはすごく説得力がありました。

まとめると

・私はとてもわがままなので他人のかゆいところに手がとどくような人間になるのはそもそも無理 

・書きたいことを書くべき

・嫌われたくないと思っても嫌われるときは嫌われる それが自分のせいだとは限らない

・楽しいことをするべき

というようなお話でした。特に難しく感じたのは、「嫌われることもある」と割り切ることでした。それはわたしがお相手に失礼なことをして、それを直そうともせずに「勝手にむこうが嫌った!」といわんばかりの不遜な態度にならないかなと今もちょっとうじうじしています。

話してみて思ったのが私はまだまだ考えることが足りてないんだなってことです。

自分でやってきて、こうしたいと思うことや自分なりに正しいと思うことを見つけられていないんだと思います。でも、書きたいことを書いていこうと思いました。

その過程で私のことを嫌いになったりしても、嫌われたくないけど、それでもわたしを嫌ったひとを私も嫌いになることはないです。

なので安心して嫌いになってくださいというのもまた変ないいまわしなのですが、うまくいえないけれど、いつだって誰かを不愉快にしたいとか攻撃したいとか絶対思わないです。ありのままの私はつまらないし不遜にみえるかもしれないのだけど、もう一度自由に書き始めてみます。

その結果いやだな 傷つくなって思わせてしまうことがあったら私も間違いにきづいてなおせるようにがんばります。そしてまたそこを直して、また自由に書けるように学んでいきたいです。

 

やはり嫌われたくない

これを書きながらツイッターを見ていて、また「嫌われたくない熱」を燃やしていました。本当はフォローされたときにすぐにお返ししたくなるのですが「何こいつ嬉々として返してるの気持ち悪いわ・・・」と思われたり、「え間違えて押しただけなのにフォロー返された・・・」とご面倒をおかけしないかなと不安になり、しばらく見守ることにしています。(ちなみに間違いでフォローしたわけではないとわかればすぐにフォローをお返しさせていただいています・・・!)

今日はネガティブなことをつらつら書いてすいません、いつの日か世界中にCOME ON アンド THANK YOU!みたいな人間になれるように日々精進します・・・!

(わりとポジティブになるような試みはしていて、その奇行についてはまた書きますね・・・)

 

嫌われたくないって気持ちはこれからも多分あるけれど、改めて皆さんの書いてることをみて思ったんです。続いてる方は皆、自分の思ったことを自由に書いているって。

もちろんまとめる上手さや文章力の問題で私なんぞと比べてはいけないのですが、本質は書きたいと思ったことや取り組みたいと思ったことを書いていらっしゃるんだなって思いました。

私ももう一度、嫌われたくないの呪縛から自分を解きはなってみます。

なかなか難しいけど、今日も人生の貴重な一日なので、今からはじめてみます。

これを書き始めたときも、こんなこと書いてどう思われるかって考えてしまいました。でも、どう思われても、同じことを繰り返したらだめなんだってある人の書いた文章を読んでいて思いました。その人があまりに自由だったから。

誰も傷つけたくないし、できれば誰もにやさしいことやたのしいことだけ渡したい。

その気持ちだけ失わないで自由に書いてみます。

いつもごめんなさい、いつもありがとうございます

そしてこれを書いてる間にツイッターで何人かの方と話していたら今書いたことを下書きにしたくなりました(笑)なんだかどなたかと話すと嬉しくなって、ネガティブになってることがばかげているような、そんなうれしい気持ちになります。

わたしはすごく単純で高低差のすごい坂をいったりきたりしていますが、根はいつも人が好きです。これは幸福なことだと思います。

ほんとに、いつもありがとうございます。

がんばります。

またお便りいたします!

 

円野まど