こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

私に「ママ友」がいらないことは、11歳の時に決まっていた(前編)

 

 〒みなさま

 

こんにちは円野まどです。

今日は全然明るくない話を書きます。

ママ友にまつわるタイトルをつけていて、私は未婚で子供がいません。す、すいません

そっそれではどうぞ~ (›´ω`‹ )

 

*私に「ママ友」がいらないことは、11歳の時に決まっていた(前編)

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*はじめに

皆さんは「ママ友」にどんなイメージをもっていますか?

社会的にはどういう定義を求めているのかな?と思い簡単に検索してみました。

 ママ友

ママ友(ママとも)とは友達付き合いの形態の一つ。これは幼い子供の母親であることを共通としてできた母親同士という形の友達である。主な場合は公園や幼稚園、保育園などで知り合うことからママ友となっている

(引用出典元 ママ友 - Wikipedia

 

要は子供がらみで出来た交友関係のことなのかな~とざっくり理解します。

それから少し考えて見たんですが、ママ友には「友」という名が付いていますが、思想の共通や、時間を共有する際の心地良さなどから自身の選択で形成する一般的な友人関係とは多少事情が違うものに感じました。

子供、つまり、家族の環境が起点となるお付き合いであり、そこには自分の意識だけでなくその環境に身をおく家族(ママ友の場合は子供)の代表としての自身も存在し、家族に悪い影響のない振る舞いが自然と求められるものです。

組織としての交流に近いのかな。

私はまだ子供はいないのですが姉の知人に会うとき、彼女の立場が悪くならないように、私が社交的で礼儀のある人物になる必要を考えたりします。これが相手が子供という、相手に責任を負わせるわけにはいかない存在なら、きっと尚更考えてしまうと思います。

「この人と仲良くしていなければ、子供の人間関係にも影響するかも」

そんなことを考えてしまうことがあるかもしれません。

礼儀を失しないように、という事はこれからも努め続けるべきことですが、私は過去の経験から「ママ友がいることが必要である」と思えない部分があります。

乱暴な言い方をすれば、私自身がきちんと努力できればいらないとさえ思います。

もちろん子供ができたら、変わってしまうかもしれないです。

ただ、一度は「いらない。」と思ったことを覚えて置こうと考えました。

だからこの気持ちを未来の私に向けても、ここに書き残しておこうと思います。(※ママ友のいる方を批判する内容ではないです。人と人とのお付き合いですから、良いご縁ならそれが一番ですよっ。)

それに思い至るに当たって、1つ思い出話がありますので、よろしかったら是非聞いてください。長い話であることと、なかなかママ友の話にならないこと、文中に私の拭いきれない悔しさがあるので、不愉快にさせてしまったら本当に申し訳ないです。

私も書くことで、きちんと気持ちに向き合おうと思います。

 

 

*幼稚園のころ

私には幼馴染が居ました。家が隣の男の子で(A君とします)、就学前からよく遊んでいました。A君にはお姉さんがいた事や、生来の優しさから女の子がするようなおままごと遊びも嫌な顔ひとつせずにしてくれる子でした。またそのお母さんが本当に元気で優しい方で、遊びに行くといつも笑顔で迎えてくれて、嬉しかったことを覚えています。

園や学校に入る前は本当によく遊びました。2人でばけついっぱいお花を摘んで、大量の花冠を作ったり、公園にあった二つの石を親子だと言ってお話を考えたり、道で拾った硝子をとんでもない宝物だと思い、お互いの母親にプレゼントしようと転がるみたいに走って帰りました。その一つ一つを今でも思い出すことができます。

大人同士の話はよくわからないけれど、たぶん私たちの母親同士の仲も悪くはなかったのだと思います。A君のお母さんと私の母が、家の前で楽しそうに雑談している姿を何度も見かけました。その時は意識していなかったけれど、私達はその二人のそばで安心して遊びました。

やがて幼稚園に入り、少しだけ環境が変わります。

私は人見知りが激しく、登園すると真っ赤になって熱がでることが続いたりして最初は少し休みがちでした。A君と遊んでいる時、A君は叫んだり大声を出すという事が無かったので、同じ年くらいの子が、特に男の子がそんなに元気であることを知らなかったのです。園では楽しそうに大きな声を出しているお友達がたくさんいて、それは全然素晴らしいことなのだと今はわかるのですが、当時はとてもせわしなく感じ、怖く、不安なものでした。私がそういう様子なので、先生がそばにいてくれることが多かったです。

園を休んだ日は家が隣だということで、その日に作ったものなどをお土産にA君が時々お見舞いにきてくれました。彼が知り合ったお友達や、今日面白かったことなどをおしゃべりしながら、園は楽しいよと言ってくれることもあってなんとか少しずつ、園が怖くなくなっていきました。

そして登園することには慣れていったのですが、一人で本を読んではじっこに座っていることが多かったです。以前のように恐怖心からではなく、それが一番落ち着きました。その頃にはみんなの楽しそうな声を聞きながら教室の本棚の横によりかかって絵本を読むことが好きになっていました。

時々「わたしも一緒に本を読んでいい?」と誰かがそばにきてくれて、仲良くご本を読んだり、私なりに幼稚園に慣れ始めた頃のことです。いつものように本棚にもたれて絵本を広げていると、まぶしい光が頬に当たって、ふと窓の外を見ました。

A君が見えます。でも、お外で遊ぶときにかぶる黄色いお帽子をかぶっていません。

A君は、B君・C君と遊んでいたのですがA君だけがお帽子をかぶっていませんでした。私は「?」と思ったけれど、いつの間にか寝てしまっていました。

それからまもなくして、園から帰るときA君・B君・C君のお母さんと私の母が話している様子をよく見かけるようになりました。4人はおともだちなんだな、と思いつつ私はやっぱりA君とA君のお母さんと話すのが一番安心して話せました。

私の母は、自転車の後ろに子供を乗せられる椅子をつけていなかったので(母は自転車にのったことが無かったようです)車か歩いて帰ることになっていたのですが、ある時A君のお母さんの自転車の椅子の後ろを眺めていると「おばちゃんがのっけてあげようか?」と言ってくれたのです。私はお母さんに乗ってもいいか確認してから、乗せてもらいました。A君のお母さんが危険ではない程度にがくんとなる段差の所とか降りてくれたり、カーブを緩やかにまわってくれて、大げさじゃなくて私はその時、遊園地の乗り物みたいだって思いました。本当に夢みたいで、終った後おばさんに何度もお礼を言いました。本当に感動したのを今も覚えています。

ただ1つ申し訳ないのは、お母さんをとられたと思ったA君を泣かせてしまったことです。あの時、ごめんねといいながら少し私に怒ってくれたA君をみて、どこか少しだけホッとしました。遊ぶ時はいつもわたしのワガママが全て通っていたので、どこか、申し訳ない気持ちがありました。だから怒ってくれてなんだか安心したのです。

心を込めてたくさん謝りました。A君のお母さんがなぜかすごくうれしそうな笑顔で泣いてるA君を抱き寄せていました。

後にも先にも、A君から私が抗議を受けたのはこの一回だけです。

そんな事もあって、やっぱりA君のお母さんが一番すきなよそのお母さんでしたが、その後おうちが近いこともあって、A君・B君・C君と私の家(それぞれの兄弟・姉妹もともに)で公園に遊びに行ったりして色んな思い出を作りました。その頃、A君が時々怪我をしたりお洋服を破いてしまうことがあって驚いたことを覚えています。

小学生になる

あっという間に小学生になりました。

私はA君、B君、C君と幼稚園のときにお話していた女の子数人と同じクラスになりました。知っている人もいれば、まだ知らない子が大きな声で泣いていたり、叫び声がしたりすることにどきどきしました。結局入学してしばらくは幼稚園の最初のころのように熱をだしてしまいました。虚弱なこともあり、登校は車であることが多かったのですが下校は何も考えずにA君と帰りました。

一番親しい友人だったし、家が隣だったからです。

それがまわりにどう見えるか考えるほど私は社会を知りませんでした。

冷やかされることが増えました。

それは同級生に限らず、なぜか上級生にもかなり冷やかされました。

正直なところ、私は異性同士で下校するとそういうことがあることは既にまんがで得た知識上のことだったので(ああこれか)と凄く冷めた気持ちで受け止めていて、恥ずかしいとかは思いませんでした。A君は私に対して「いやじゃない?」ということを気にして何度か聞かれました。私を気遣う彼に悪いと思ったし、明確に実態がないことに対しあるだろうと囃すことが理解できず、窮屈だなあと思いました。

ただ、嫌いじゃない人と過ごしたいだけなのに。

相変わらずA君もA君のお母さんとも親交があり、家の前でお母さん同士で話しているということも変わらずありました。ですが、小学生になって少し変わったことがありました。それは一年生の時にじわじわ始まって、二年生の頃に完全にそうなっていました。

冷やかされる時、ものをぶつけられたり誰かが蹴ってきたりすることが増えました。

それは私にではなく、全てA君にされたことでした。そしていつの間にか、彼と私が一緒に帰らなくても彼は何かにつけからかわれることが増えました。

A君の体は小さいほうではありませんでした。

力も弱いわけではありません。

でも彼は蹴られても、やめろというだけでやり返したりしませんでした。

とても優しい人だったからです。そのうち彼のペンケースなどの持ち物も、からかいの対象になりました。

当時考えたこともなかった言葉が飛び出しました。

「Aのうちはびんぼう!」

驚きました。親戚の方のお庭にお家をたてているらしい、ということは聞いたことがありました。A君の家は平屋建てで、お二階以上はありませんでしたが、それが裕福ではないという事とイコールではないですし、お父様のお仕事がどうとか、それって小学一年生だった私が関心をもったことがない話です。とにかく、衝撃を受けました。

私にとってその言葉というのはお家にあった昔話の絵本で見た、家がワラで出来ていて、つぎはぎのお洋服を着ているとかそういうイラストのことでしたので、A君と共通点がないように見えました。不当でひどい言葉だと思いました。けれど、何て言っていいのか分からず、私は何もいう事ができませんでした。

何より、ものすごく重い気持ちになって家に帰りました。何か、しなくてはいけないことをしなかったような気がしてお母さんにそのことを話しました。お母さんも少し驚いた顔をして、「あなたはその時どう思ったの?」と聞いてくれました。私は「いやだった」みたいなことを答えたのですが、あの時の気持ちと違うような気がしました。

A君のペンケース

 その日から少しずつ、A君のことはイジってもいいという空気になりました。

強く押したり、からかうだけでは飽き足らず、背中を蹴ったり、ばんっ!と空中に響くような音をたてて叩いたり。そんなことも時々ありました。私は手を出す乱暴な子がいることに驚きました。

そんなことが続いて少したって、A君の家でゲームをしているとAくんのお母さんが帰ってきました。

「お邪魔しています」

「あら~こんにちは!のどかわいてない~?」

というお決まりのやりとりをしたあと、Aくんが嬉しそうに「ウソ!」と言いました。

その時Aくんのお母さんがニコニコしていて、彼は新しいペンケースを握っていました。それはクラスで流行っているもので、女子の私からみてもカッコイイものでした。

何となく私もうれしかったです。私は当時そういうものに全然関心がなく、書ければいい消せればいいという感覚だったので母は心配していました。でも、A君がうれしそうにお母さんにありがとうという様子をみて、そんな冷めた私でもなんだか一緒にうれしくなりました。

次の日からしばらく、Aくんが「びんぼう」という言葉をかけられなくなりました。あんまりからかわれなくなっていき、私も私で授業などの新しいことに慣れることで忘れていきました。でもそれは長くは続かなくって、ある時お昼休みに男子がAくんのまわりでワイワイ騒いでいるのを見かけました。話を要約すると、

→誰かが鬼ごっこで鬼になった

→鬼をやりたくないのでA君に鬼になれといった

→A君はX君と席でおしゃべりをしていたので断った。

→Aのくせにナマイキだ!いいからやれと、頭を叩いた

ということのようでした。ムチャクチャですよね。

ジャイアンか、と今ならイジり返せるようなことを当たり前にやっていたのです。

A君もさすがに「鬼はやらない」ときっぱり断っていました。それで男子達が数名集まってきて、A君をまた叩いたりからかったりし始めました。その時、男子のうちの一人がA君のペンケースを取り上げて「お前にこれは似合わない」と言ってガンガン床にたたきつけ始めました。ひどく乱暴な光景でした。

(あれはA君のお母さんが・・・)

色んな気持ちがこみあげました。

ちょっと教室がおかしな雰囲気になってきて、泣く女の子が出始めました。

私は思わずその集団のほうへ進んでいきました。A君が怒って手をふりあげて「返せ」といっているのを男子が数人で抑えようとしています。A君は泣いてしまいそうでした。小さい頃から一緒なので、泣いてしまいそうな時の顔が分かるのです。

その時私はペンケースを持ってる男子のところへ飛び出していって取り上げました。

正義感や同情ではなくて、怒りからです。

そしてその首謀者の数人の中に、幼稚園のとき親しくしていたB君とC君がいたことを初めてそこで知りました。私は驚いて彼らを見ましたが、彼らは私を見ようとしませんでした。取り上げたペンケースを取り返そうともせず、下を向いていました。

リーダーの男の子D君が私のすねを思い切り蹴りました。そちらを見ると、目が笑っていない冷たい顔をしていて怖かったし、足がすっごく痛かったです。でも泣きそうになったのは、痛かったことよりなんだかA君のお母さんの笑顔が浮んだからです。

「これはA君のお母さんが買ったものだよ」

とB君とC君のほうに向かっていいました。彼らは私を見ませんでした。

D君が何か言っていましたが、私はB君とC君に伝えたくて、もう一度言いました。

一緒に大きな公園にいってサンドイッチを食べたり、おんぶしてもらったりしたのに、忘れてしまったのかなと思ってすごくすごく悲しかったです。

同じ女子が蹴られたということで、さらに叩かれたりするのは他の女の子が抗議に来てくれて(ちょっと男子!!というやつです)免れました。

ペンケースはすでに少し破れてしまっていました。

あの時のA君のおばさんの顔が浮かんで、悔しくてたまらなくなりました。

すごく、無力な気がして、男の子だったら良かったなあとその時思いました。

家に帰ってお母さんに自分が蹴られたりしたことは省いて話しました。特に、B君とC君がそのからかいに加わっていることを中心にしました。自分の中で一番整理がつかないことだったからです。お母さんは少し考えてまた「あなたはどう思った?」と優しく私に聞きました。お母さんはそのことについて、何かをしなさいともするのをしないようにしなさいとも言いませんでした。

その後A君へのからかいは続きましたが、X君が強く止めに入ってくれるようになり暴力に発展することは減っていきました。(X君はお父様がかなり有名な方で怪我をさせてはいけないと、先生まで思っていたことが大きく働きました)

私もだんだん大きくなり、A君と二人で遊ぶことは少なくなっていきましたがA君・B君・C君と私とその母親達で時々お食事にいくことは続きました。たいていその時は、自分の姉がいるので私は姉や他の子の女きょうだいと遊ぶようになり、完全に男女に分かれて過ごすようになっていきました。そのとき、学校に居る時と違ってA君がイジられたりせず普通に遊んでいる様子をみて(ほんとうはB君・C君もA君を嫌いではないんだ。)と思いながら見ていたのを覚えています。最後はみんな、まだ遊びたいねといいながらバイバイをしましたし、大人達も話がつきない様子で解散になっていました。

しかし私はその時、B君とC君の行動の本当の理由を知らなかったのです。

 

長くなったので、後半は次回にしますね!ママ友いつでてくるんってかんじの話展開でまことに恐縮です・・・(ほんとに!)

 

それではまた明日すぐお便りいたします!

 2016年1月8日追記の続きです↓

ma-corpus.hatenablog.com

 

 

 円野まど