こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

私達は誰に褒めて欲しくてそこで生きているのだろうか

 〒みなさま

こんにちは円野まどです!

今日は個人的なお話になりますがよろしければお付きあいください。

 

*私達は誰に褒めて欲しくてそこで生きているのだろうか

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*わたしのこと

週末は通院したり、通院が終って元気であれば(病院に行って元気というのも変だけれど処置ではなく検査だけだった場合などです)そのまま長いお散歩をして帰る。ということがもうずっと私の生活にあります。

今日は久しぶりに豊洲に行ったのです。何度か書いたかもしれないけれど私達はお散歩を本当によくするし、よく歩きます。べたべた東京中歩きます。

その上でよく思うのが、私は東京が好きです。この街のもってる、時に適切な無関心をもって匿名性を付与してくれるところが特に。

私は大人になっていく過程で、人には言えることも言えないことも恥を重ねてきた人間で、振り返った自分を額にいれて飾れるかというとそれは全然できなくて、でも、今、親しい人に苦笑いで、私にはこういう所があるんだ、と話せるようになったのはものすごく幸福でありがたいことなんじゃないかなって思います。

思春期に自分がもっていた「恐れ」と見えない天井がいつのまにかなくなっていた、そんなことを思います。

*君臨する理想

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子供の頃私は他人がわたしをどう見るかということに恐ろしくとらわれていたわりに、その葛藤に対して無力でした。自分がもっているものが人と違うことが不安なわりに、上手に何かを乗り換えていく器用さもなく、そして自分の持ち物について誰かに伝える力もまた、ありませんでした。

集団生活には君臨する理想が存在して、それは正義で、それに外れたものは理想に敬意を払って生きねばならないような、そんな制約が自分の中にいつのまにかありました。

修学旅行で誰かと同じ班になると、迷惑をかけないようにしなくちゃとか

体育で跳び箱が飛べないと、教えてくれる先生に申し訳ないなとか

自慢できるところがなくて、おとうさんやおかあさんに悪いなとか

「そつなくこなす」ことに憧れながら、たくさんの空回りをしました。

高校までの間に、一度もある種のモデルを感じずに生きられる人はいると思うのですが、私はいつでも理想と自分を対比して変じゃないかなという緊張の中にいました。

ただその心配の方向が本当に見当違いなので、結果としてホームランな恥はかきました。とてもたくさん。私は普通に着席することに精一杯で、打開しようとしたことは、ひどい滑稽なことばかりで、自然な振る舞いかたがよくわからないままたくさんの恥をかき、大学へ進む年齢になりました。

*天井と壁のない場所

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戸惑いました。今まではクラスや学校で毎日顔を合わせている人がいたり、家で誰かを見て自分の至らないところが分かったりしたのですけれど、一人暮らしをすれば朝の起床から1人です。朝何を食べても、ベッドが乱れたまま出かけても、それは私が選択することです。

大学にいくとですね、固定されたクラスがないですよね。時間割を自分で作って、必修はあるけれど自分で学びたいものにどうタイムスケジュールを組み立てるのかは自由です。

厳密にはその、同じメンバーで長期間学ぶようなことはありますけれど、それすらもどこに組するかは自分が選ぶというか。

とにかく、この天井の下に絶対集まって泳いでください というのはないんです。

そして自分で選択をしなければ、何も始まらない と日々思いました。

最初は緊張しましたが、私はすぐに生活をはじめることができました。

いつの間にか、何かを好きだと思う気持ちも、苦手だと思う気持ちも、ちゃんと私の中で育まれていたからです。

今まで自分の中に勝手にそれらを閉じ込めて、自分で作った天井のしたで出来ることだけその中から選んでいただけで、私には理想の正義に倣わない、自分自身のやりたいこともやりたくないことも、ずっとあったことに気づいていきました。わたしはこれが好きで、これは好きではないんだ・・・と、選ぶもの選ばなかったもの、選べたもの、選べなかったもの、いろんなことに教えられました。

その生活の中で先ず思ったのは、【モデルがいない生き方】がこんなにもラクなのかっていうことです。

どなたかに迷惑をかけるのはよくないことだけれど、私が今等身大で持っていない何かは、いたらないところでもあるのだろうけれど、私自身である以上、いい意味で仕方がないことはたくさんあるんだって思いました。

*あの時の言葉

 じゃあ私が緊張していたことはなんだったのかなって思ったとき頭に走った記憶がありました。小学生の時、厚紙で工作するんですけどわたしは哀れなくらい不器用なので、1人だけなんかもう、倒れそうな何かができていたんですね。それを参観日の時教室の後ろにクラス皆のぶん飾るってことになり、当日授業が終ってからお母さんも自然とそれらに興味を示しました。

その時は私だけヘタで申し訳ない、ということより、素直に学校にお母さんがいることが嬉しかったから、余裕をもってお母さんと一緒にみんなの工作を見ました。

どうしてまだ私とおなじこどもなのに、皆こんなに上手なのかなーってお母さんに話したら、お母さんは 「おかあさんはまどちゃんのがいちばんすき」と言ったのです。 

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 わたしは瀕死の厚紙の存在を前衛的な手法で表現しましたと苦しい言い訳をしないといけないレベルで不器用なので、お母さんは私を励ましてくれたのかなって思ったのですけれど、お母さんは「だってこれだけがあなたが作ったものだから、おかあさんはこれがいちばんすきよ」といってくれたのです。

ここで、そんなお母さんに応えたかったのかなって思ったのですけれど

お母さんが信じてくれた私がちゃんと価値があるよって そうしたかったのかなって思ったのですけれど、よく、よく考えて分かったんです。

自分で自分を褒められるような人間に、私はなりたかったんだなって。

そしてそれを、お母さんに見せたかったんです。

 残念ですけど、今まだ私は私を誇れるかというとちょっと後ずさりしてしまいます。できることも増えたけれど、その分無神経になってしまったところがあるようにも思うんです。できるから、できない気持ちをわすれたようなところ。

だからもうすこし頑張って、なりたいじぶんを考えてみつけて

あのときのお母さんに、顔向けできるようになりたいです。

そしたら自分のこと、好きになって、お母さんにありがとうっていいたいです。

 

聞いてくださってありがとう。

またお便りいたします。

円野まど