こちら孤島のまどよりお便りします

円野まどの恥の多い日々の記録

スーパーで子供を怒鳴るお母さんを見たときの話

〒 みなさま

こんにちは円野まどです。

最近は体調を崩していてなかなか思うように更新できないのですが、今日は雑談がてら、ちょっとした思い出話を書きたいと思います。

 

 

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*登場人物

しゃん 私のパートナー・同居家族。ノンアルコールビールの飲み比べをしている。

私 筆者円野まど。最近は体調をくずしていておかゆ生活。おやつがわりに食べるジーマミー豆腐に夢中である。

 

 

数年前まで、商業施設とかで子供に怒っている人を見ると心がざわついた。

誰かが感情を逆立てている声を聞くだけで、何故だか自分が謝らなくてはいけない気がして身が強張るのだ。前に私は勉強が不得意でなかったと書いたけれど、本当にただ問題が解けるだけであとは何もかもうまくできない子だった。

興味を引いたものがあると、何も聞こえなくなるので両親を何度も心配させた。

それだけではなくて、空気の読めない振る舞いをたくさんたくさん。

先生も、習い事の相手も、多くの人を逆上させてきた。

よかれと思うことはとても失礼なことにあたるということもいっぱいあった。

そうしてしまうたび、ただただごめんなさいと思った。

礼儀を重んじるであろう両親が、私のせいで笑われるかもしれないことが申し訳なかった。しつけを受けていないわけでもないし、作法について教えられてないわけでもないのに、滑らかに振舞えなかった。

何を学べば誰にも失礼じゃなくいられるのかいつも不安だった。自分のせいなのに、努力の方向がなかなか分からなくて、誰かと接しないほうがいいと思った。

少しずつ人と距離を置いた。

高校に入って、大学に行き、卒業しても。

人と接することの失敗で抱いた恐れを処理することはできなかった。

誰かの怒りに対しての反射的な謝意もやめられなかった。

大学生の時にしゃんと出会って、彼と話すとき衝突は起こらなかった。

双子なのかと思うほどお互いの言いたいことがわかって、私はそれに甘えて、このよく分からない不安について考えるのをやめてしまった。

それでも、解いていない気持ちは底に残っている。

だからその後も、街で子供を叱る親御さんに遭遇するとビクッとなった。

人の大きな感情は苦手で、できるだけ意識しないように触れないように過ごす。

頭から追い出すことばかり上手になっていった。

そんなことが続いていた頃。

スーパーでカレーを選んでいるしゃんと私の真後ろを女の子が通り抜けた。159センチの私の膝上くらい、まだ幼い子だった。

その子は踊るように身をひるがえした後、私達の横にしゃがみこんだ。

そしてレトルトのシチューを手に取り始める。

4歳くらいかな、白くてやわらかそうな指先がかわいい。

見惚れているとお母さんらしき女性がすぐに追いかけてきて、

とても大きな声でこう言った。

「もー!だからアンタと来るの嫌なんだって!何しても全然いう事聞かない!お母さんほんっっと疲れるよ!最悪!アンタ本当にいやだ!」

すぐ傍で聞こえたこともあってドキッと跳ね上がるような感覚があった。

カレー粉を選ぼうとしゃがみこんであれこれ成分を見ていたしゃんが振り返る。

「どうしたの?」

優しい声だった。

私は何と説明すれば良いか分からず咄嗟に「大丈夫かな。」と親子が消えていった方向を見た。

去り際に顔を見た時子供は泣いてなかった。

ただ黙って口を尖らせていた。

それが不満なのか悲しみなのか私にはわからない。

しゃんは二つの箱を両手に持ちながら、こう言った。

「ほんと、大丈夫かな?あのお母さん。泣きそうな声だったね。」

私が驚いていると、彼はこちらを見ないまま一つの箱を戻してまた新しい箱を手に取った。カレーに対するこだわりは続く。

「歩くようになると大変だよね。急にどっか行ってしまうし、見守るのは本当大変だ。」

それから彼は歩きながら「初めてだったらあんなに怒らない人のほうが多いと思うよ。あのこはやんちゃなんだね」とか「怒鳴ってしまうのはそれだけ不安で張り詰めてるんだよ。」とかお母さんの気持ちを話していた。

それは特別心配するような感じではなくて「そう思うのは当たり前」くらいの自然さだった。私はとっても、衝撃を受けた。

きっと、「だから~嫌だ。」とか「最悪」とか、そういう事は子供にかける言葉じゃないとか、採点をするなら色々あるのかもしれないし、人によってはあの人の言葉や態度がどうしても許せないこともあるかもしれない。

だからあくまで、私は。

私は、の気持ちなのだけど。

なんだかあの高い声が、泣くのを我慢しているようにどんどん思えてきてしまった。

今まで大人が私に言った、さまざまなことを思い出しながら帰った。

あれは本当に怒りや失望だけだったのかな、細かな声や目が思い出せない。

自分にしか意識がなかったからだ。

時々しゃんの横顔を見る。私を理解しようとする態度に満ちていた。

私は誰かをどれだけ分かろうとしてきただろう。

人と接して、失敗して、軋轢を生んで、自己嫌悪して、そういう今までの人生で貼り付いた不安の一部が剝がれるのを感じた。

怖いことって、多くは自分の心が作り出しているのかな、その時そう思った。

そして、時に疲れたり嫌になったり、どうしてってやり場のない気持ちを抱えながらも「大人」として生きようとした人たちのことをずっと想像をした。

そっか私達は大人になる、わけじゃないんだ。

お父さんもお母さんも。先生もあの時のおじさんもおばさんも。

皆、大人の年齢になったから大人として頑張っていたんだよね。

悲しいこともつらいことも、本当はあるよね

したいこともしたくないことも、ちゃんとあったよね。

当たり前のことを今更に理解する。

完璧な大人になんかなれないし、ならなくていいんだ。いつまでも。

あの頃20代や30代、40代だったまわりの大人たちは、当たり前に好きなものや趣味や嫌いなものやわがままだってあったはずだ。

それでも私達の前では「大人」の役割をして、強い顔をしていた。

そうすることでさまざまなものを与えていてくれたことに気付いた。

頭上に強さがあったから、私は安心して成長しようとしたり悲しんだりすることができたんだ。

 

それからしばらくして、また街で子供を叱る人を見た。

私はもう怯えなくなっていた。

代わりに「困っていないかな。」と考えるようになった。

 

そんな話でした。

 

なかなか書けないし訪問できずにいるのですが、少しずつよくなるように頑張ってまたお便りさせてください!ご連絡やお返事忘れがないように気をつけてはいるのですがもしそのようなことがあればまことに申し訳ありません。

回復後自分でも確かめますし、何かあればお伝えいただければ幸いです。

みなさんと私に、よい夏になりますように!

追伸

 

ジーマミー豆腐ほんと。ホンッと・・・!!ほんとおいしいですよ・・・!

沖縄の方は天才か・・・!

冷蔵庫に七個あります!ムハハハ!!